結核からの復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:31 UTC 版)
「キャット・スティーヴンス」の記事における「結核からの復活」の解説
健康を取り戻し、国際的成功への足がかりとなる世界に自らの音楽を届けたいという新たなる熱意と一連の内向的な楽曲を携えた彼は、1970年にアメリカ国内でのレコードの配給先となるアイランド・レコードと新たに契約を交わす(当時北米でこのレーベルはA&Mとライバル関係にあった)。そこから最初に発売したアルバムが、初期のポップな作品とは趣を異にしたフォーキーで内向的な世界が描かれた『白いバラ』である。彼の当時のガールフレンドであった女優のパティ・ダーバンヴィルのことを歌った「白いバラ」、デビューまもない10代のころの経験を題材にした「ポップ・スター」、ジェネシスの当時のフロントマンだったピーター・ガブリエルがフルートで参加した「カトマンズ」などをフィーチャーしたこのアルバムは、1970年代に人気を博したソロのシンガーソングライターによる黎明期の代表作のひとつとして知られている。 『白いバラ』に続いて発売されたのは、彼の世界的なブレイクを誘発した『父と子』であった。日常の風景や問題を題材にしつつ、なんらかの霊的イメージをまじえたキャッチーな歌詞を特徴とした彼の独特かつ新鮮な作風が確立されたこの作品は、全米ビルボード誌のアルバム・チャートでトップ10にランクインし、発売から半年後には合衆国内だけで50万枚以上を出荷してゴールド・ディスクに認定された。この作品には全米トップ20ヒット「ワイルド・ワールド」や「ハード・ヘッデド・ウーマン」、さらには曖昧な自伝のような歌詞が印象的な「父と子」が収められている。2001年にはアメリカ合衆国におけるこのアルバムの売上は300万枚に達し、全米レコード協会によってマルチ・プラチナムに認定された。2003年に『ローリング・ストーン』誌が発表した「史上最も素晴らしいアルバム500枚」のリストでは、この作品は206位にランクインしている。 アルバム『父と子』の成功によって、彼はもはやほかのミュージシャンのコンサートで前座を務めるような存在ではなくなっていた。また、同時期には、スティーヴンスを題材にした「悲しい伝説」「アンティシペイション」などの楽曲を全米チャートにランクインさせたカーリー・サイモンとの交際も噂された。スターになった彼は、ギターやバック・コーラス、ハーモニー・ヴォーカルを務めるアラン・デイヴィーズをしたがえて、自身のコンサート・ツアーを開始する。セッションを通じて知り合った2人は、30年以上に渡る強固な友情を築いた。2008年2月28日にこの世を去るまで、デイヴィーズはほぼすべてのスティーヴンスのライヴ・パフォーマンスにおいて不可欠な存在であり続けた。
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