結末の削除をめぐって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 15:29 UTC 版)
「山椒魚 (小説)」の記事における「結末の削除をめぐって」の解説
1985年(昭和60年)10月、新潮社より新たに『井伏鱒二自選全集』の刊行が開始された。この全集は帯文に「米寿をむかえた筆者が、初めて作品を厳選し徹底的な削除・加筆・訂正を行った決定版」と銘打たれており、「山椒魚」もその「訂正」の例外にはならなかった。従来どおり第一巻の巻頭に置かれた「山椒魚」は、その結末部分が10数行に渡ってカットされており、この結果『自選全集』に収められた「山椒魚」は以下の文章で終わるかたちとなっている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}更に一年の月日が過ぎた。二個の鉱物は、再び二個の生物に変化した。けれど彼等は、今年の夏はお互い黙り込んで、そしてお互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意してゐたのである。 つまり従来の結末部にあった、「今でもべつにお前のことをおこつてはゐないんだ」でくくられる蛙との和解の場面が丸ごと削除されたのである。また同全集の「覚え書」には、改稿のもととなった井伏の考えがこう記された。「後年になつて考へたが、外に出られない山椒魚はどうしても出られない運命に置かれてしまつたと覚悟した。「絶対」といふことを教えられたのだ。観念したのである。」 この末尾の対話の部分は元来武田泰淳や河盛好蔵などから評価を受けていた部分であったこともあり、この突然の改稿は大きな波紋を呼び、削除に対する賛否や作者の真意、そして「作品」はいったい誰のものか、といったことをめぐって文壇を賑わわせただけでなく、その騒動はマスメディアからも注目を受けた。井伏作品を愛読していた野坂昭如は『週刊朝日』誌上で、「山椒魚」はもはや書き手を離れている作品であるはずだと書き、これまでの読者はどうなるのかと強く反発した。井伏の伝記を執筆した安岡章太郎も、当時の講演でこの件に触れ「削ったことによって締まってくるとも思うが、そうすると前の部分が食い足りない」として「十分納得がいかない」心境を語っている。評論家の古林尚は、これは「改訂」ではなく「破壊」ではないかと述懐し、この末尾の削除によって、山椒魚と蛙の関係は単なる「いじめ」の問題に縮小されてしまったと難じた。同年10月10日付けの『朝日新聞』のコラム「天声人語」はこの騒動に触れたうえで、「『山椒魚』の末尾削除は、もしかすると八十七歳になった作家の、人間と現代文明への絶望ではなかったか」と書いている。 一方で井伏自身は、『自選全集』と同時期に行われた河盛好蔵との対談で「どうしようもないものだもの。山椒魚の生活は」「ずいぶん迷ったですよ」といった発言をしており、前述の10月10日付けの「天声人語」では「あれは失敗作だった。もっと早く削ればよかったんだ」といった言葉も伝えられている。しかしさらにのちの89歳直前に行われたNHKのインタビューでは「直さないほうがよいようだなあ」「(では戻しますか、という記者の質問に対して)それがよいかもわからん。誰か書いてくれるといいな」と迷いを口に出しており、こうした井伏の言動も自選全集版の「山椒魚」に対する消極的な評価の一因となっている。ただし批評家や研究者からは、読者は読み比べて好きなほうを選べば良いのだとする意見や、改稿後のほうが解釈の幅が広がっているという意見、文体の完成度という観点から新稿のほうを評価する意見なども提示されている。 その後、井伏が1993年(平成5年)7月10日に死去するまでの間にも「山椒魚」は複数の作品集に収録されたが、井伏が自選全集収録時の「山椒魚」を再び改訂することはなかった。
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