結末とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 08:33 UTC 版)
正徳2年(1712年)7月22日に幕府の裁断が下された。川井は息子と共に死罪、郡代林武太夫および代官高梨市左衛門は追放され、藩主・忠位は失政を咎められて北条藩屋代家は改易となった。農民側も、捕らえられたままであった名主3名(北片岡村の小柴庄左衛門、稲村の山口弥市郎、中村名主の吉田九兵衛)が追放に処せられた。
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