経営改善策の成果
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まず関連事業の営業力を強化するため、松本電鉄からの支援を受け、川バス自工と川バスエージェンシーを設立した。また、イメージチェンジのためにバスの塗色も銀色地に緑色のグラデーションという新しいデザインが採用された。さらに、1985年には正式に松本電鉄グループに入り、白馬村では川中島バスから松本電鉄バスに路線移管を行う一方で大町市では1路線を除いて松本電鉄バスから川中島バスへ移管した。 再建のための不採算路線の整理も進められた。補助金支給では短期的な延命策に過ぎないと考え、長期的な視野で交通手段の維持を行う方策も行われ、信州新町・鬼無里村などの町村では自家用バス使用の廃止代替バスに移行した。また、不採算路線の貸切免許による代替バス運行が認められたことから、小規模貸切バス需要にも対応するために、1985年4月には川中島グリーン観光バスを設立した。会社設立に際しては川中島バス退職者の再雇用により人件費の低減を図っているが、貸切バス市場を混乱させるとの反発が同業他社からあり、営業区域を縮小した認可となっている。1986年には、同様の目的により上越観光バスを設立した。 貸切バスについては、松本電鉄グループ傘下に入ったことで営業力が大きく向上した。1985年には観光バス共同受注を目的とする「信州観光バスセンター」が発足、松本電鉄グループ以外からも長野観光バス、伊那バス、信南交通、千曲バスが参加し、長野県内の観光バス台数の7割をカバーすることになった。 また、この時期には高速道路網の整備が進み、日本各地で高速バス事業への進出が行われていた。長野県内でも中央高速バス伊那・飯田線が高い実績を上げていた上、長野自動車道の豊科以南の区間が開通したことを受け、1988年9月より「みすずハイウェイバス」の運行を開始した。この路線はかつて運行されていた「みすず急行」の復活ともいえ、松本電鉄・諏訪バス・伊那バス・信南交通との5社共同運行で、諏訪バス以外は「みすず急行」での運行事業者である。また、1989年12月には阪急バスとの共同運行により、夜行高速バス「アルペン長野号」の運行を開始した。 これらの経営改善策が功を奏し、1991年3月には債務を全て完済、同年6月に更生計画は完了、川中島バスは7年半ぶりに独立経営の会社として認められることになった。当初計画では、債務の完済には10年かかることになっていたが、貸切バス事業の営業成績の伸びが大きく貢献したとされている。 しかし、経営環境は更生計画が開始された時よりも厳しいものとなっていた。1985年には信越本線の増発により長野と上田を結ぶ区間の利用者が鉄道に転移したほか、戸隠バードラインの地すべりによる閉鎖もあり、収益性の高い観光路線を一部失っていたのである。
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