使用の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 10:24 UTC 版)
則天文字は、武則天が皇位に就いていた15年間(690年 - 705年)には広く使用されており、石碑や仏典などに盛んに記された。現存する武周期(武則天の治世)の碑銘、墓誌銘によく現されている。 武則天は705年に中宗に皇位を譲ると、まもなく他界した。中宗は全ての制度を昔の高宗永淳時代に戻すように命じ、併せて則天文字も廃止された。これに対して武則天の親戚の武三思らは、韋皇后や女官の上官婉児と結託して、張柬之ら重臣5名を追放し、権勢をふるった。これを機会に、時任左補闕の権若訥は中宗に奏上し「則天文字を復活させることが他界した母親への孝行である」と提案した。中宗はおおむね権若の指示に従っていたが、則天文字の復活だけは認めなかった。文宗の治世となっていた開成2年(837年)10月、則天文字を元の文字に直すことを命じる詔書が改めて頒布された。これは逆にいえば、この時まで則天文字が使われていたことを意味し、150年間通用していたことになる。
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