節劇・映画のタナ読み
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一人ではなく二人以上で一つの演目を分担して語る「掛け合い浪曲」は今でも口演される。役柄で割り振るなど、節劇の前駆形態とも目される。 節と語りで物語を回す浪花節の形式は、現在の歌舞伎・文楽における義太夫の形の代替のように使われ、剣劇と共に現在の大衆演劇のルーツの一つ、浪花節劇=「節劇」が、長らく演じられていた。大舞台での名手としてコメディアンの堺駿二、玉川良一、芦屋雁之助がいる。特に盛んだったのは九州で、大歌舞伎の役者でも義太夫替わりに浪花節を使わなければ、客が納得しなかったという。地方回りの一座に、売れない浪曲師が帯同し上演された。最盛期は敗戦直前である。大衆演劇俳優、沢竜二の父は「桃中軒雲富士」という名で、浪曲師から大衆演劇に流れたのもその一例である。 派生して、浪花節を無声映画の活弁代わりに使う連鎖劇も生まれた。吉本興業が一時期推進した映画興行路線の中、「浪曲トーキー」を打ち出した。アメリカで有名になり、後に帰国した桃中軒浪右衛門(とうちゅうけん なみえもん)は、同様な弁士として活躍し、アメリカ市民権を取得し活動していた。映画「カポネ大いに泣く」の主人公は彼がモデルである。 これらは1957年(昭和32年)異色作の舞台「きりしとほろ上人伝」につながっていく。武智鉄二演出、浪曲(木村若衛、国友忠が幕毎に分担)が物語の進行、操り人形と役者が共演する舞台であった。同様の浪曲ミュージカルが民音制作でいくつか作られている。 日本映画で繰り返し映画化されてやまない素材が「忠臣蔵」と「清水次郎長」であったように、興行の点で共通する部分を持っていた浪花節は、トーキー初期から「節劇」のタナ読みの立場で「浪曲映画」も盛んで、「佐渡情話」(1934年公開)、「石松夢道中」(1940年公開)、虎造を出演させた「次郎長三国志」シリーズ(東宝版。1952年 - 公開)、「浪曲子守唄」(1966年公開)などがある。中で役者としても活躍した虎造は、浪曲の枠をも超えた最大級のスターだったのである。浪曲映画はこれ以外にもプログラムピクチャーとして数多く制作され(一例として、1960-1961年、自社製作の時代劇が黄金期の東映の第二番線として公開された第二東映のラインナップにも多く浪曲で馴染みの主題が見られる)、寿々木米若や二代目雲月(伊丹秀子)などが複数の映画に出演している。節劇は近年、日本浪曲協会のイベントで東家一太郎がかけている。
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