節婦・烈女の増加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:53 UTC 版)
明代に入ると、「節婦」の観念はより一般的となり、旌表を受け取る女性はさらに増加した。彼女たちは牌坊に「貞節牌坊」として顕彰されたり、墓志銘で名誉であると称賛されたりした。また、節婦の観念は夫の死に際して女性が自殺する行為と結びつくようになり、その事例は明代に劇的に増加する。特に明代後期になると、未婚女性が婚約者に殉じるような貞節行為が称揚されるようになり、このような女性に対して旌表を与えることも増えた。 また、旌表は16世紀の後半になると対象が拡大し、性的暴行に反抗して死亡した女性にも与えられることがあった。貞潔を守って死去したり自殺したりした未亡人は、「烈女」(「烈」には殉死という意味合いがある)として称えられた。こうした風潮に加えて、元代に改定された法律(婚姻の際の持参金は没収する)の影響もあって、未亡人が再婚しないことを徐々に普遍的なものにした。
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