第2次ゲイリベレーションとは? わかりやすく解説

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第2次ゲイリベレーション(1980年代中盤以降)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 07:34 UTC 版)

日本における同性愛」の記事における「第2次ゲイリベレーション(1980年代中盤以降)」の解説

1980年代中頃から、新たにLGBT団体生まれる。1984年発足したIGA日本」(1987年第1回総会以降ILGA日本)や、IGA日本から独立して1986年3月発足し、後に「動くゲイとレズビアンの会」と名乗るOCCUR」(アカー)などである。IGA日本欧州本部を置く国際的ゲイ団体IGA国際ゲイ連盟1986年からILGA)がアドン編集長当時)の南定四郎呼びかけてできたもので、1984年9月には後に「OGC」(大阪ゲイコミュニティ)に改称し独立するIGA日本・大阪」ができている。 IGA日本月一回のセミナー機関誌JOIN」の発行エイズ110番開設などを行い四谷には賛同者気軽に立ち寄れパブリックスペースIGAクラブ」があった。1986年5月1日-3日にはIGA日本主催で「第1回アジアゲイ会議」が開かれている。ILGA日本長続きできたのは、世界組織の日本支部ということゲイ雑誌という経済基盤あったからだとされる。後にILGA日本国内初の「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」やゲイ・パレード立ち上げ中心的な役割を果たすことになる(後述)。他にも、1985年東大阪市長瀬に「上方DJ倶楽部」が発足しDJ形式トークどの様々な催しカセットテープ収録してゲイアピールネガティブなイメージ一掃目指した。因みにこの頃ゲイを巡る状況HIVエイズ)の問題抜きには語れず、ゲイリベレーションHIV予防啓発という側面もあった(後述)。 この様1950年代-60年代アングラ的なミニコミブームを経て1970年代ゲイリベレーション産声上げた時代であり、1980年代にかけて様々なグループ生まれ機関紙発行された。こうして欧米戦略取り入れた市民運動型の解放運動一部ではあるが地道に実施され1990年代にかけて素地作られた。欧米ではマルクス主義影響受けたレスビアン・ゲイ・スタディーズが発展するが、日本では1990年代まで研究そのものがほとんどなく、あっても一部除き病理的な観点からのものが多かった。だが飽くまでそれは、欧米かそのまま借用しただけの研究左翼的解放理論がなかったということ過ぎず南方熊楠の浄の思想岩田準一衆道研究稲垣足穂稚児愛の考察三島由紀夫葉隠論(『葉隠入門』)など、日本独自同性愛研究はあった。

※この「第2次ゲイリベレーション(1980年代中盤以降)」の解説は、「日本における同性愛」の解説の一部です。
「第2次ゲイリベレーション(1980年代中盤以降)」を含む「日本における同性愛」の記事については、「日本における同性愛」の概要を参照ください。

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