第2次ウェリントン公爵内閣とピールへの交代 (1834年-1835年)
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この後、ウィリアム4世は保守党(1834年前後からトーリー党は保守党という名称を使用するようになる)党首ウェリントン公爵に組閣の大命を与えた。ウェリントン公爵は首相にはならないと公言していたから、保守党庶民院院内総務(英語版)のピールに大命を与えるべきことを上奏した。 ただこの時ピールはイタリア旅行中であったため、彼が帰国するまでの暫定として首相を務めることは了解し、第2次ウェリントン公爵内閣(英語版)を発足させた。この暫定政権の間にウェリントン公爵は国王ウィリアム4世や保守党幹部たちにピールを売り込み、ピールが首相・保守党党首としてスムーズにスタートを切れるよう尽力した。 12月にピールが帰国するとただちに首相職を辞し、首相・保守党党首の座をピールに譲った。そして第1次ピール内閣に外務大臣・貴族院院内総務として入閣した。だが、野党であるホイッグ党、急進派(英語版)、オコンネル派(アイルランド議員)の連携でピール内閣は1835年4月にも総辞職に追い込まれ、ホイッグ党のメルバーン子爵が政権に返り咲いた。
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