第2次ガス紛争とは? わかりやすく解説

第2次ガス紛争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 01:59 UTC 版)

ボリビアガス紛争」の記事における「第2次ガス紛争」の解説

2005年入りボリビア天然ガスに関する抗議行動は再び激化した。これは「第2次ボリビアガス紛争」と呼ばれている。 抗議主眼ボリビア天然ガス資源開発会社を完全国化する民営化するかに置かれ、これはボリビア人立場多国籍企業などの外国勢力立場対立という構図を持つ。 第1次紛争では当時ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ大統領糾弾されたが、第2次紛争ではカルロス・メサ大統領アメリカ合衆国や他の外国勢力寄りすぎているとして糾弾された。(彼は人民寄り政策打ち出したのであるが。) 2005年3月16日メサ大統領辞任表明したが、翌日議会がこれを拒否メサ続投となったが、本来であれば2007年行なわれる予定であった大統領選挙2005年8月繰り上げる事が提案された。 2005年5月6日長い間待ち望まれていた炭素資源法がついにボリビア議会通過した。しかしメサ大統領ボリビア議会承認した炭素資源法にはまだ議論の余地があるとして署名拒否もせずに放置憲法定めに従って上院議長のオルマンド・バカ・ディエス (Hormando Vaca Díez)が法案署名し発効された。 この新法は、炭素資源及び天然資源正規所有権を国に取り戻し使用料18%のままであるものの税率16%から32%に引き上げ資源商業化政府管理下に置き、採掘会社の年度決算政府監査する事とし、先住民居住地域ガス発見した企業にはその先住民グループ協議を持つ事を義務づける、という内容である。 2005年5月24日1万人を超すアイマラ人農民20余り高地農村から集結しエル・アルト市のセハ地区からラパス市まで抗議デモ行なう5月31日エル・アルト住民アイマラ農民が再びラパス市に集結5万人を超える民衆が100km2に及ぶ地域埋め尽くした翌日国家警察第1部隊はデモ隊鎮圧する事を拒否し政府から厳しけん責受けた6月6日にはおよそ50群衆ラパス市の道路埋め尽くしたデモ隊到達した大統領府前広場で警官による催涙弾発射が行なわれると、デモ隊の中の鉱山労働者ダイナマイト応酬した抗議行動目的ガス会社の完全国有化であったが、デモ隊高地貧し土地に住む先住民らの地位向上に向けた社会再編成強く訴えたメサ大統領は再び辞任表明今度議会もこれを受け入れ最高裁判所長官エドゥアルド・ロドリゲス・ベルツェ次の大統領選までの間大統領職代行する事となった。なお、サンチェス・デ・ロサダの時と異なりメサ国外へ脱出希望していない。

※この「第2次ガス紛争」の解説は、「ボリビアガス紛争」の解説の一部です。
「第2次ガス紛争」を含む「ボリビアガス紛争」の記事については、「ボリビアガス紛争」の概要を参照ください。

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