第2次ガス紛争
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2005年に入り、ボリビアの天然ガスに関する抗議行動は再び激化した。これは「第2次ボリビアガス紛争」と呼ばれている。 抗議の主眼はボリビアの天然ガス資源の開発会社を完全国有化するか民営化するかに置かれ、これはボリビア人の立場と多国籍企業などの外国勢力の立場の対立という構図を持つ。 第1次紛争では当時のゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ大統領が糾弾されたが、第2次紛争ではカルロス・メサ大統領がアメリカ合衆国や他の外国勢力に寄りすぎているとして糾弾された。(彼は人民寄りの政策を打ち出したのであるが。) 2005年3月16日、メサ大統領は辞任を表明したが、翌日議会がこれを拒否。メサの続投となったが、本来であれば2007年に行なわれる予定であった大統領選挙を2005年8月に繰り上げる事が提案された。 2005年5月6日、長い間待ち望まれていた炭素資源法がついにボリビア議会を通過した。しかしメサ大統領はボリビア議会が承認した炭素資源法にはまだ議論の余地があるとして署名も拒否もせずに放置。憲法の定めに従って上院議長のオルマンド・バカ・ディエス (Hormando Vaca Díez)が法案に署名し発効された。 この新法は、炭素資源及び天然資源の正規な所有権を国に取り戻し、使用料は18%のままであるものの税率を16%から32%に引き上げ、資源の商業化を政府の管理下に置き、採掘会社の年度決算は政府が監査する事とし、先住民居住地域でガスを発見した企業にはその先住民族グループと協議を持つ事を義務づける、という内容である。 2005年5月24日、1万人を超すアイマラ人農民が20余りの高地農村から集結し、エル・アルト市のセハ地区からラパス市まで抗議デモを行なう。 5月31日、エル・アルトの住民とアイマラ農民が再びラパス市に集結。5万人を超える民衆が100km2に及ぶ地域を埋め尽くした。翌日、国家警察の第1部隊はデモ隊を鎮圧する事を拒否し、政府から厳しいけん責を受けた。 6月6日にはおよそ50万の群衆がラパス市の道路を埋め尽くした。デモ隊が到達した大統領府前広場で警官による催涙弾発射が行なわれると、デモ隊の中の鉱山労働者はダイナマイトで応酬した。抗議行動の目的はガス会社の完全国有化であったが、デモ隊は高地の貧しい土地に住む先住民らの地位向上に向けた社会の再編成を強く訴えた。 メサ大統領は再び辞任を表明。今度は議会もこれを受け入れ、最高裁判所長官のエドゥアルド・ロドリゲス・ベルツェが次の大統領選までの間大統領職を代行する事となった。なお、サンチェス・デ・ロサダの時と異なり、メサは国外への脱出を希望していない。
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