第2次コートジボワール内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:00 UTC 版)
「コートジボワール」の記事における「第2次コートジボワール内戦」の解説
詳細は「2010年コートジボワール大統領選挙」、「2010年コートジボワール危機」、および「第2次コートジボワール内戦(英語版)」を参照 2010年10月31日、内戦終結後の和平プロセスの停滞から再三延期されていた大統領選挙が行われた。選挙には14人が立候補し、過半数を得た候補者はおらず、現職のローラン・バグボ大統領(Laurent Gbagbo、2000年10月26日就任、イボワール人民戦線)と野党を率いるアラサン・ワタラ元首相の上位2人が決選投票に進み、11月28日に投票が行われた。選挙管理委員会は2日、ワタラ候補が投票総数54%を得て、45%のバグボ大統領を破ったと発表した。しかし、バグボ陣営はワタラ陣営による不正があったと主張し、バグボ大統領派の影響力が強く、中立性が疑われている憲法評議会は3日、「北部でワタラ陣営による投票行為の妨害や不正があった」として一部地域での投票結果を取り消し、バグボを当選者とすると発表した。これに反発してソロ首相は辞任した。 5日、バグボはアビジャンにおいて大統領就任宣誓式を行った。これに対抗してワタラも同じアビジャン市内のホテルで国連平和維持部隊に守られながら就任宣誓を行い、ソロ前首相の続投を承認した。欧米諸国や国連は、ワタラ当選の選管発表を支持するとの声明を出している。これによりコートジボワールは二重政府状態に陥り、混乱が続いた。二重政府のバグボ政権は12月6日にジルベール・アケ(Gilbert Marie N'gbo Aké)を首相に任命し、首相もギヨーム・ソロとアケのふたりが存在するという異常事態が続いた。 しかし、2011年4月11日、ワタラ側の軍の攻撃によってバグボが拘束され、バグボとアケの失脚が確定した。これを受け、4月12日にはバグボ側の軍の参謀総長や警察と憲兵隊のトップらがワタラに対して忠誠を誓い、5月6日にはワタラが就任宣誓を改めて行い、異常事態は解消された。
※この「第2次コートジボワール内戦」の解説は、「コートジボワール」の解説の一部です。
「第2次コートジボワール内戦」を含む「コートジボワール」の記事については、「コートジボワール」の概要を参照ください。
- 第2次コートジボワール内戦のページへのリンク