第1回クーリッジ音楽祭の開催(1925年10月)
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クーリッジ音楽祭とバークシャー音楽祭年クーリッジ音楽祭バークシャー音楽祭1918年 第1回 1919年 第2回 1920年 第3回 1921年 第4回 1922年 第5回 1923年 第6回 1924年 第7回 1925年 第1回 1926年 第2回 1928年 第3回 第8回 1929年 第4回 1931年 第5回 1933年 第6回 1934年 第9回 1937年 第8回 1938年 第10回 1940年 第9回 1944年 第10回 1950年 第11回 1956年 第12回 1964年 第13回 1970年 第14回 1975年 第15回 1925年10月28日から30日にかけて、完成したばかりのクーリッジ・オーディトリアムにおいてクーリッジ財団の主催による第1回「室内楽のための議会図書館音楽祭」(Library of Congress Festival for Chember Music、以下「クーリッジ音楽祭」という。)が開催された。なお、最終日の10月30日はエリザベスの誕生日にあたっており、この日は議会図書館音楽部門の記念日「ファウンダーズ・デイ」(Founder's Day)とされ、「ファウンダーズ・デイ・コンサート」はエリザベスの死後も開催され続けている。 第1回クーリッジ音楽祭は、バッハの『天のいと高きところには神に栄光あれ』で幕を開け、ヘンデルやベートーヴェンといった古典作品とともに、クーリッジ財団が委嘱したピツェッティの『ピアノ三重奏曲イ長調』、フレデリック・ストックの『ラプソディック・ファンタジー』、チャールズ・マーティン・レフラーの『カンティクム・フラトリス・ソリス(太陽の賛歌)』という新作3曲が演奏された。会場のクーリッジ・オーディトリアムは座席が511席しかなかったが、エリザベスはより多くの人々に音楽を届けるため、音楽祭の模様を海軍のアーリントン無線局(NAA)(英語版)からラジオ中継した。この試みは他局の電波が干渉するなどの問題があり芳しいものではなかったが、連邦無線委員会(英語版)の発足(1927年)よりも早い段階でラジオに着目したエリザベスには先見の明があったといえる。 クーリッジ音楽祭の開催は不定期で、エリザベスの存命中に11回、その後1975年までに4回行われた。1928年の第3回音楽祭では初めてのバレエ上演が行われ、ストラヴィンスキー作曲の『ミューズを率いるアポロ』がハンス・キンドラー(英語版)の指揮、アドルフ・ボルム(英語版)の振付によって初演されている。また、エリザベスはヨーロッパの優れた演奏家を招聘し、1926年の第2回音楽祭では前述のプロ・アルテ弦楽四重奏団が演奏し、1933年の第6回音楽祭ではピアニストのルドルフ・ゼルキンとヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュがアメリカデビューを果たしている。
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