第1回ジャパンカップへの招待と故障
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 14:43 UTC 版)
「デルシム (競走馬)」の記事における「第1回ジャパンカップへの招待と故障」の解説
1981年に入ってから11戦して5勝(うちG1を1勝)、2着6回(うちG1を2回)の好成績を挙げてきたデルシムの陣営は、次の目標として海外遠征を選び、日本中央競馬会(JRA)からのジャパンカップへの招待を受諾した。 歴史的挑戦となるはずだったデルシムの海外遠征は出だしから苦難続きのものとなった。10月24日に経由地フランクフルト行きのチャーター貨物機で出国することになったが、デルシムは初めて見る飛行機を不安がって乗り込みを嫌がった。しかも目隠しをしてなんとか乗り込ませようとした貨物機は双発のプロペラ機だったが、一方のエンジンが故障してしまい、結局出国は延期になった。 エンジンの解体修理を待って1週間後の10月30日の7時にデルシムは貨物機に乗せられたが、再びプロペラの不調で離陸前に整備をすることになり、13時30分にようやく飛び立った。 日本に着いたデルシムは、検疫を受けた後、11月22日のジャパンカップに向けて調整が行われた。日本のマスコミには「トルコのヒカルイマイ」のキャッチフレーズで紹介されるなどオウンオピニオン(「インドのシンザン」)同様「当地のスターホース」扱いを受けたが、本番一週間前の11月14日に屈腱炎を発症していることが発表された。これによりデルシムはジャパンカップに出走することがかなわず、そのまま帰国、引退に追い込まれた。
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