第二の戦闘とは? わかりやすく解説

第二の戦闘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/06 15:36 UTC 版)

タリン沖海戦」の記事における「第二の戦闘」の解説

12月27日午前2時近くゴーグランド島へ向かう途上のテシジャー艦隊は、灯火管制敷いた艦影発見した艦影は、イギリス艦隊と交わる航路近く航行していた。巡洋艦カリプソ信号手は、艦影はスパルタークの同型艦であると判別し、それは絶対にスパルタークと合流するために不具合直して12月26日夕刻クロンシュタット出港したアフトローイルであると判定した。テシジャーは士官らの説得応じず、雷撃を受ける危険のある夜戦避けこととし東方への航海続行させた。しかしながらゴーグランド島沖ではオレークは発見されなかった。オレークは、スパルタークの帰還待たず停泊位置変えその後クロンシュタット帰ってしまったのである。テシジャーはフィンランド湾にある唯一の敵艦、アフトローイルへ標的変更命じ西海域へ向かった。アフトローイルは闇の中敵艦隊とも擦れ違ったが、味方のオレークとも行き違ってしまったのである。テシジャーはタリン港に残る駆逐艦ヴェンデッタヴォーティガンフィンランド湾入り口警戒に就くよう出港命じ、自らは麾下の3 艦を警戒線に展開させた。カラドック北面に、旗艦カリプソ南面に、駆逐艦ウェイクフルは中央に陣取った。そして、3 隻は西へ向かって索敵開始したこのようにしてアフトローイルは袋の鼠となり、遙かに優れた戦力との遭遇ひとえに時間の問題となった時間過ぎ去り早朝アフトローイルは駆逐艦ヴェンデッタおよびヴォーティガン遭遇した乗員ミーティング指示則って艦長V・Aニコラーエフ全速命じ、艦は湾南岸沿ってクロンシュタットへの脱出開始したイギリス駆逐艦はアフトローイルを追撃したが、大し速力を出さなかったため、アフトローイルは難なく敵艦から逃れることができた。しかしながら12時25近く、モフニ島南方でアフトローイルは巡洋艦カリプソ先頭に進むイギリス艦隊発見した。アフトローイルは北へ進路変更したが、そこにもまた敵艦がいた。アフトローイルは5 隻のイギリス艦に包囲された。短時間砲火交わされたのち、アフトローイルは白旗掲げた追跡及び交戦時において、イギリス艦は明らかにアフトローイルの早期降伏待っており、甚大な被害与えないようにしていた。そのため、イギリス艦からはせいぜい数回砲撃が行われたに過ぎなかった。それにも拘らず12時48分に発射されイギリス艦の最初砲弾のうち1 発が中無線アンテナごと弾き飛ばしその結果アフトローイルは無線通信失った。 スパルタークの降伏時と同様、アフトローイルには捕獲グループ派遣され乗員イギリス艦へ移された。「文明進んだ航海者たち」が降伏者にとった極度に厚かましい態度言及値するイギリス水兵らは両艦の居住区画の捜査行った際、欲しいと思ったものはすべて、衣類シーツ類、筆記用具といった士官個人身の回りの品に至るまで何でも持ち去った士官船室ではシャンデリアが捥ぎ取られ家具運び出された。アフトローイルの士官集会室にあったはずのたて型ピアノは、やがてイギリス巡洋艦上で発見された。巡洋艦カラドック捕獲班は、手に入れた戦利品」をのちに二束三文売り払った略奪対す乗員らの不満は、誰一人として気にするものはなかった。イギリス人は、この出来事をただ「あいだにパーティー挟んだ2 度戦闘」と記録しているだけである。

※この「第二の戦闘」の解説は、「タリン沖海戦」の解説の一部です。
「第二の戦闘」を含む「タリン沖海戦」の記事については、「タリン沖海戦」の概要を参照ください。

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