第二の改心とは? わかりやすく解説

第二の改心

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:10 UTC 版)

バルトロメ・デ・ラス・カサス」の記事における「第二の改心」の解説

ラス・カサス提案により、シスネロス枢機卿指示インディアス審議会発足インディアスへの調査団派遣決定した調査団ヒエロニムス会の修道士たちによって構成されており、ラス・カサスインディオ保護官という肩書き現地同行した調査団忠実に職務遂行したが、ラス・カサスから見れば手ぬるいものであったため、まもなく両者対立することになった調査団ラス・カサススペインに戻ると、死期が近づいていたシスネロス枢機卿はすでに権勢失っており、まもなく死去したしかたなくラス・カサスは新王カルロス1世カール5世)に謁見することにし、謁見許可を待つ間、ドミニコ会神学院において法学神学知識深めた。やがて王の側近ジャン・ル・ソヴァージュの知遇を得ると、王から暴力的行動禁止し平和的植民のみを許可する勅令を得ることができた。これを実践しようとしたラス・カサスは自ら植民団をひきいてクマナー地方平和的植民活動行ったが、うまくいかず植民者たちはラス・カサスのもとを去ったインディアススペイン人たちの間でラス・カサスへの反感強まり、命の危険を感じたラス・カサスは、ドミニコ会員たちのすすめに従ってドミニコ会入会修道院にかくまわれる形で研究専念した。これが「第二の改心」である。研究活動の中で、当時著名な神学者カジェタヌス枢機卿が「征服戦争正当性立証する神学的根拠何もない」という意見持っていることを知り大い励まされた。『布教論』とよばれる著作このころ書かれたが、現在では一部分しかのこていない1526年9月インディアス事情精通しているということで、ラス・カサスエスパニョーラ島新しく出来たドミニコ会修道院院長任命受けたこのころ、『インディアス史』の執筆始めているが、2年前の1524年にはすでにインディアス評議会枢機会議格上げされており、王の直属機関となっていた。これは当時スペイン国内でインディアス扱いについての関心高まっていたこと、植民者たちの目にあまる行為インディオへの虐待問題視する意見強かったことを示している。ラス・カサスはしきりに枢機会議書簡送って現状報告していた。その後インディアス各地すすめられインディオ征服批判しながら、インディオへの平和的布教取り組んだラス・カサス地道な啓蒙活動ヨーロッパにおいて徐々に評価されるようになっており、1537年には教皇パウルス3世インディオ奴隷化禁止する勅令『スブリムス・デウス』を出している。また、グァテマラからメキシコ赴いて活発な活動続けた

※この「第二の改心」の解説は、「バルトロメ・デ・ラス・カサス」の解説の一部です。
「第二の改心」を含む「バルトロメ・デ・ラス・カサス」の記事については、「バルトロメ・デ・ラス・カサス」の概要を参照ください。

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