第二の回心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:32 UTC 版)
しかし、岩村は、なかなか新しい原理がみつからなかった。大森めぐみ教会は、元日本組合基督教会に所属しており、組合派教会(Congregational church)は、古いイギリスの国教的考え方に反して、個人の自由、信仰の自由を唱えるものが集まり、契約により教会を創った者の集団である。そこから近代社会、近代的教会ができる。この話を突き詰めると、岩村自身の信仰があやしくなった。確かに自分は信仰があると思っていたが、それは非常に古い血に基づいたものだった。自分の父、あるいは祖父がクリスチャンだからという旧約的な信仰であって、本当に自分の責任において神を信じる、選び取るということをしてなかった。そして聖書講義では、例えば、婦人会ではヘブル人への手紙、高校生会ではローマ書をずっと講義した。この二つの書物はつきつめると古い血による信仰はだめだと。アブラハムの信仰を受け継いだイスラエル民族はみなもう、血族的に選民だというのは古い。新しい契約をしなければだめだと。人間はなかなか契約を継続することが難しい。しかし、神と人間の契約の仲保者、保証人として主イエス・キリストがおられる。契約を破りそうになっても保証人としてのキリストが代わって神と契約をしておられる。本人が信仰がなくなった、信仰を捨てたと言ってもイエス様がいる以上、事実上契約関係は切れていない。そこに信仰の絶対性、確かさがあると言って「血と契約」という本を書いた。聖書は旧約聖書と新約聖書で成り立っているがそれは、古い契約と新しい契約との契約論である。契約論がわからなければキリスト教がわかっていないと言える。かくして岩村は42歳の頃、第二の改心(conversion)、心を変えるという経験をした。 表面上は変わりはないが、心の中では非常に大きく変わり、契約により信仰する、そしてその信仰を継続していく。日本的には義理を立てて、信仰を一生守る義理堅いクリスチャンにならなければならないということである。この応用問題は大変広く、キリスト教の家庭問題においても、また人類の歴史においても、契約社会が一番新しいもので、それが民主主義であると展開した。
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