福田恆存の意見
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1957年10月、福田は『CBCレポート』に寄稿し、この夏に新聞紙面上で論議が展開されていた吹き替えの是非について論考している。 これは日本の民間放送の草分け的存在であるラテ兼営局の中部日本放送(TBS系列)が発行する月刊誌であり、同局では中部日本放送放送劇団も活動していた。この評論は福田の著書『私の演劇教室』にも採録され、1961年10月に刊行されている。 本質論からいへば、「吹きかへ」にけちをつける理由はどこにもない。私たちの文化そのものが「吹きかへ」文化なのだから。いひかへれば、生活のあらゆる部分がばらばらに存在してゐるといふことだ。問題はただそれを統一する技術の面にある。あるいは態度に問題がある。私たちは不調和を前提として、それをいくらかでも埋める努力をすべきではないか。さきに例をあげたやくざ言葉や、女言葉の場合でもさうである。西洋人の肉體や身ぶり表情に適合する「せりふ」の抑揚や、いひまはしを研究してはどうか。それがやがて私たちの言葉や生きかたを變へてくるであらう。もつと最惡の場合、私はその努力なしでもいいと思つてゐる。不調和を不調和のまま、放つておいてもいい。着物に靴の明治文化も、時がたてば、現在のやうになるし、現在もなほ似つかぬ洋服姿もやがては、身についてくるであらう。現在の亂雑のまま聲の「吹きかへ」を、もつと「藝術的」な本格映畫にも適用したはうがいい。さうなれば、みな否應なくその不調和に文句をいひだし、いづれ改善されるであらう。すくなくとも、西洋人の肉體と日本語との不調和は、「意味」と「聲音」との分離、觀念と感覺との分離を強要するスーパー・インポーズよりは精神衞生にいい。それだけはたしかだ。 — 「吹きかへ」文化
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福田恆存の意見
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1981年6月、福田は総論、戯曲論、翻訳論、演出論、演技論などからなる『演劇入門』(1981年、玉川大学出版部)を編纂し、「新劇が出発点についてゐない」と総評をしている。 「新劇は五十年かかつて、何ものにもなりえなかつたのであり、何ものをももちえなかつたのである。」と日本新劇史を概観した自著『私の演劇白書』(1958年発行)を引き、それから二十有余年後の新劇が今もなお、自己喪失状態にある事を指摘した。そして、新劇はその自覚に徹底する事で初めてスタート・ラインに立ち得るとし、改めて西洋演劇の正統であるせりふ劇、言葉の「造形美術」の確立を提唱している。 すべてを翻訳のせゐにして逃げる訳には行かない。問題は新劇の歴史始つて以来今日に至るまで、役者も演出家もせりふが目に見える物体であり、それが力学の法則にしたがつて動くものであるといふ事実に一向気附かず、作者の思想だの、人物の性格、心理だのと、目に見えぬ内面的な「掘下げ」と称する曖昧模糊たる領域で自己欺瞞を続けてきたといふ事にある。(中略)過去の新劇に最も欠けてゐた事は、実はリアリズムなのである、せりふの物理学的リアリティなのである。 — シェイクスピア劇のせりふ――言葉は行動する
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