福田康夫政権下
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2007年(平成19年)9月、首相・安倍晋三が健康問題等を理由に辞意を表明したことを受け、直ちに麻生太郎“首相”実現に向けての活動を開始した。直後に麻生と会談して支持を伝え、総裁選立候補のための推薦人の一人となった。選挙戦では麻生に同行し、他の応援議員らとともに東京・新宿駅前での街頭演説などにも参加したが、結果は福田康夫が勝利し、同月福田康夫内閣が発足した。 同月、所属派閥の領袖であった伊吹文明が自民党幹事長に就任、中川が伊吹派(志帥会)会長代行を務めることとなった。その後中川は中曽根康弘らを講師として招いた政策勉強会を開催したほか、同年11月には、保守派の議員で集まる勉強会「真・保守政策研究会」を設立するにあたってのまとめ役を務めた。この会への参加者の多くは直前の総裁選における麻生の支持者であり、翌年の自由民主党総裁選挙において麻生が選出される原動力の一つとなった[要出典]。 また、同月、中川は東トルキスタンの人権活動家・ラビア・カーディルと会談し、中国による東トルキスタンとウイグル人弾圧に対する強い懸念を示している。
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