社会運動への志願とは? わかりやすく解説

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社会運動への志願

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:36 UTC 版)

渋谷黎子」の記事における「社会運動への志願」の解説

黎子は定輔との出逢い以来家庭留まること、強制的に結婚させられることに、さらに苦痛感じ始めた。そして、東京市(後の東京都)で働き社会運動実践参加したい可能ならば定輔の『野良に叫ぶ』の出版社である平凡社働きたい、との意志強くした。しかし姉の1人三女)が家を呪い文学修行称して文学青年と共に出奔していたため、自分も家を出れば母を悩ませる思い行動に移ることができずにいた。その姉からは「私を助けると思って、私の真似をしないでほしい」と懇願されていた。 先の定輔との出逢いにより、平凡社当時の社長下中弥三郎は定輔の師であり親交があると知ったことで、黎子は下中上京希望就職斡旋依頼の手紙を書いたまた、婦人運動』に寄稿していたことから、同誌主宰者である婦人運動家の奥むめおにも同様の手紙出した同年2月に奥からの依頼により、雑誌婦人運動2月号に、「長沼 朝」のペンネーム手記農村婦人一日」を寄稿したこの中で黎子は、自分プロレタリアートの娘として生まれた方がどんなに良かったかと述べている。当時社会運動家山本宣治殺害されたことも、黎子に衝撃与え、生活を新たにしたいとの意志強くすることとなった。 同2月に、奥むめおから黎子宛に返事届いた上京そのものには大体賛成だが「家族了承得られれば」とのことだった。続いて2月9日、奥から黎子の兄宛に手紙届いたことを機に家族上京希望打ち明けその許しを求めた。父や兄や姉たちは渋々ながら了承したものの、母は出奔した三女のこともあって猛反対であり、一旦は挫折せざるを得なかった。苦悩のあまり、3月には高熱嘔吐感に襲われ数日間わたって病床伏せた4月19日から27日にかけ、雑誌改造』の懸賞論文への応募目指し地主家族としての生活の自己清算試みた論文として、原稿用紙47にわたる「寂超えて」を書いた内容は、自身の寂科学的に究明し、その正し解決求めようしたものだった。 失意と苦悩日々と戦うように、黎子はカール・カウツキーの『資本論解説』や『弁証法唯物論』といった社会主義関連書籍、『婦人運動』『中央公論』『改造』『経済往来』などの雑誌読み漁った。また、ドイツ女性革命家であるローザ・ルクセンブルク偉大な女性として尊敬し自身ローザのような母親になることを望んでいた。 ふとローザ・ルクセンブルグのことを考えてローザの手紙』を出して読む。ローザはいつ読んでも全く偉大だローザの母のようだったら、どんなにいいか、などと空想してみた。そうだ、ローザ圧迫され婦人解放のために、一生捧げつくした、われらの母なのだ。 — 1929年6月24日付の日記渋谷 1978, p. 89より引用

※この「社会運動への志願」の解説は、「渋谷黎子」の解説の一部です。
「社会運動への志願」を含む「渋谷黎子」の記事については、「渋谷黎子」の概要を参照ください。

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