砂漠化の進行
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アフリカ大陸北部のサハラ砂漠周辺や、中央アジアのタクラマカン砂漠周辺など。人口爆発による食料増産のため、焼畑農業・過放牧・灌木の過度の伐採が行なわれオアシスが乾上るなどして砂に侵食された地域の放棄が増えている。また、埋もれた砂の下から過去の都市遺跡が見つかることもある(エジプト文明遺跡、楼蘭など)。
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砂漠化の進行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 08:59 UTC 版)
サハラ一帯は、完新世(1万年前 - 現在)以降は湿潤と乾燥を繰り返してきた。2万年前から1万2000年前はサハラ砂漠がもっとも拡大した時期で、現在のサヘル地帯のほとんどがサハラ砂漠に飲み込まれていた。その後最終氷期の終焉とともにサハラは湿潤化を開始し、およそ8000年前にもっとも湿潤な時期を迎えた。この時期の砂漠はアトラス山脈直下の一部にまで縮小し、サハラのほとんどはサバンナやステップとなり、森林も誕生した。7500年前に一時乾燥化したがすぐに回復し、5000年前までの期間は湿潤な気候が続いた。その後、徐々に乾燥化が始まり、以来現在にいたるまでは乾燥した気候が続いている。5000年前と比べると砂漠の南限は1,000キロメートルも南下している。乾燥化は歴史時代を通じて進行しており、砂漠の南下も進行中である。 20世紀以降では、1915年ごろ以降降水量は増加したが、1920年代以降現在までは降水量は減少傾向にある。 1960年代以降、サハラ地域を含めアフリカでは人口爆発が続いている。食料増産・生活のため、焼畑農業・過放牧・灌木の過度の伐採が行われ、生態系が破壊される悪循環が繰り返されている。 1968年 - 1973年にかけて、サハラ一帯に2,500万人が被災した大規模な旱魃が発生した。なお、これを契機として、1977年に国連砂漠化防止会議(UNCOD)が開催された。しかし1983年 - 1984年にかけ再び大旱魃が発生した。モザンビーク、アンゴラ、スーダン、チャド、エチオピアでは、旱魃に加え政情不安定もあり、飢餓で多数の死者を出した。 人口爆発・旱魃により、砂漠化は急速に進行し始めた。貧困・気候変動も密接に関連しているため、決定的な解決策は存在しないに等しい。現在でもサハラ南縁部は世界でもっとも砂漠化が進行している地域で、毎年約6万平方キロメートルのスピードで砂漠の面積が増加し続けている。国連環境計画(UNEP)の調査では、南側で毎年150万ヘクタール(15,000平方キロメートル)ずつ広がっていると報告されている。 2007年からは、砂漠の拡大を防ぐためにアフリカ連合の主導によって、アフリカ西岸のセネガルから東岸のジブチの沿岸部までの約7000kmを樹林帯でつなぐグレート・グリーン・ウォールプロジェクトが開始されている。 ところが、地球温暖化による気候変動によって再び植生が変化しつつあり、南縁部には緑化の兆候もあるという。このような近年の調査研究による予想モデルでは、雨量が増加し湿潤化されるとの説もある。
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