相葉家の能楽師たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 21:43 UTC 版)
「花よりも花の如く」の記事における「相葉家の能楽師たち」の解説
榊原憲人(さかきばら のりと) 主人公。幼少期から古典芸能の世界に生きる。シテ方能楽師。六世相葉左右十郎の外孫。2歳時より子方として修行し、22歳の時に相葉左右十郎の内弟子となる。初シテは『経正』。3巻で『石橋』、5巻で『猩々乱』を披いている。 名前の由来は「祝詞」。家族を含む周囲の人間からは音読みの「けんと」と呼ばれている。弓道もたしなむ。音楽はジャズが好き。 西門という弟と彩紀という妹がいる。西門とは仲の良い兄弟ではあるが、西門が養子に出されたことを巡り葛藤を抱えている。 顔の造作は悪くないらしいが、弟妹に比べ地味で目立たない。普段眼鏡をかけているため、家族から「のび太」呼ばわりされている。ある時期からコンタクトレンズに変えてイメチェンした後から、主に妹・母に「カッコよくなったんじゃないか」と評されるほど、内面も変化している。 2時間ドラマ『石に願いを』に能楽師として準主役で出演したのが縁で、共演者であり主役でもある俳優・藤井琳を弟子に取ることになった。ドラマ出演後から、NPO法人に協力したり自分の会を立ち上げたりするなど、次第に活動の幅を広げ始める。 狂言師の宮本芳年の妹・葉月と知り合ってから彼女のことが気になり始め、『石に願いを』に共演後、2人で春日大社に行った際に、彼女に対する気持ちが恋愛感情であることに気付く。「好きです」と告白した後、しばらく関係がギクシャクするようになるが、明石に相葉家の菩提寺を探しに行った際に、彼女と偶然プラネタリウムで出会ったことから気持ちが通じ合うようになる。それもあって、家族から「最近、しょっちゅう葉月さんの話をしてる」と指摘されるようになる。 9巻において、匠人の「お礼参り」に同行した道成寺にて、左右十郎のある冗談めいた発言がきっかけになって、30歳になる2年半後に『道成寺』を披くことになった。その後、盲目の武内望と知り合ったことがきっかけで自分なりの解釈を得て『弱法師』のシテに挑んだ際は、母に「じいじ(=曽祖父)の弱法師に似てる」と評されている(本人は曽祖父と同居したことがなく、舞台も見ていない)。14巻において、小学校卒業記念に埋めたタイムカプセルに入れた未来の自分宛の手紙と亡き恩師の手紙を読んで、『道成寺』への取り組みの気持ちを新たにする。 相葉尋人(あいば ひろと) 能楽師。六世相葉左右十郎 (あいば そうじゅうろう)。単行本11巻で名跡を匠人に譲り、相葉泰一(たいいつ)を名乗る。1925年生まれ。シテ方で創風会の芸事責任者。憲人の母方の祖父で師匠。「先生」あるいは「左右先生(そうせんせい)」と呼ばれることが多い。2巻122ページで能『養老』を観世流の小書(特殊演出)である「水波之伝」で演じていることから、流派は観世流らしい。稽古をつけるときは、興奮のあまり手が出ることもある。 長男の匠人は能楽師。長女の冴子は榊原家に嫁いで憲人・西門・彩紀を生んだ。 相葉匠人(あいば たくと) 1949年生まれ。七世相葉左右十郎。創風会所属のシテ方の能楽師で、憲人の最初の師匠。憲人の母方の伯父で、長男の海人も子方として修行中。通常は左右十郎(尋人)と呼び分けるため、「匠先生(たくせんせい)」と呼ばれている。芸風は豪快ながらも粗野にならないとされる。普段は眼鏡をかけている。 相葉海人(あいば かいと) 1989年生まれ。創風会所属の子方。悩みながらも能楽師を目指して修行中。
※この「相葉家の能楽師たち」の解説は、「花よりも花の如く」の解説の一部です。
「相葉家の能楽師たち」を含む「花よりも花の如く」の記事については、「花よりも花の如く」の概要を参照ください。
- 相葉家の能楽師たちのページへのリンク