目撃証拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 23:47 UTC 版)
R. J. シェーファーは目撃者の証言を検証するチェックリストを提供している(歴史学研究法のガイド,157-158)。 ある著述の本当の意味するところは、文字通りの意味と異なっているであろうか?言葉というものは今日で使われている意味とは違っているか?文章が風刺的にはなっていないか?(すなわち言っていることと違う意味をもつのではないか?) 著者はその報告する事項をどのように観察したであろうか?著者の感覚は観察対象者と同じであろうか?彼は目撃したり聞いたり触れたりするに適当な位置にいたであろうか?彼は適当な社会的観察能力をもっていたであろうか?すなわちその言語を理解できたか?他に専門的な知識が必要ではないか(例えば法律、軍隊)?彼は妻であるとか秘密警察であるとかに脅されていなかったか? 彼の記録はどのようになされたのか?彼の記録する能力はどうか?記録能力に関して、彼は偏見をもっていないか?彼は記録作成のための十分な時間があったか?記録に適した場所があったか?適切な記録用具があったか? 彼が観察したときから記録するまでの時間は?かなり遅いか? 彼が報告する意図は何か?誰のために報告しているか?その時廻りにいた者が歪曲を要求したり勧めたりしていないか? 意図された真実性には他の手がかりは無いか?報告事項に無関心ではないのか?つまり意図的にではなく歪曲する可能性は無いか?彼自身に損になる記述になっていないか?つまり歪曲することを求めていないのではないか?彼には偶然のあるいはいつもの情報が与えられていたか?これはほとんど確実に意図せずに誤った方向に導くことになる。 彼の証言は本質にありそうもなく見えないか?例えば人間の本質に反するとか、我々の知識にあっていないとか。 ある種の情報は観察したり記録したりするのに容易なものがあることを覚えておくべきである。 文章中に矛盾はないだろうか? ルイス・ゴチャックは他にも考慮すべき事項を付け加えている。「問題の事実が広く知られていないとしても、ある種の記述は誤りや嘘のようには見えない程度まで起こりそうでありかつ可能性がある。ある道路に関する碑銘にアウグストゥスがローマの皇帝であるときにある地方総督がその道路を作ったと書いてあるとして、その地方総督が実際に道路を作ったのかを他の裏付けなしには疑われるかもしれないし、その道路がアウグストゥスの時勢に作られたことを疑うのも難しいかもしれない。ある広告で「A と B のコーヒーを信頼できる食料品店では通常価格1ポンド50セント買える」としていたとき、その広告から推論できることは「A と B のコーヒー」というブランドのコーヒーがあること以外は裏付けなしには疑われるかもしれない。」(歴史の理解、163) ギャラハンは次のように言っている。多くの情報は「間接目撃」つまりその場に居合わせなかった人が他の人から聞いたことから来ている(歴史学研究法ガイド、292)。ゴチャックによれば、歴史家は聞き伝えの証拠を時に使っている。続けて「歴史家が二次証言を使ったとしてもそれに全幅の信頼を置いているわけではない。それどころか(1)誰の一次証言に基づいて二次証言者が証言しているか?(2)二次証言者は一次証言の全体を報告しているか?(3)そうでなければ、一次証言のどの点を正確に報告しているか?2番目と3番目の質問に対して、歴史家は二次証言が唯一の情報源であっても一次証言の全体あるいは要旨でもって満足な答えとするかもしれない。このような場合二次情報源は歴史家の「一次」情報源である。彼の知識の「源」という意味においてである。この「情報源」が一次証言の正確な報告である限り、一次証言に対して行うであろう信頼性の検証を歴史家は行っている。(歴史の理解、165)
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