目撃者について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:16 UTC 版)
「正寿ちゃん誘拐殺人事件」の記事における「目撃者について」の解説
KはAを連れ去った時、通行人らに略取の事実を気づかれないよう偽装するため、わざと「頑張れ」などと声を発しながらAを連れ去っていた。実際、歩道橋の下(明治通り)は車が頻繁に行き交い、通行人も多かったが、目撃者のほとんどは「言うことを聞かない駄々っ子をお兄さんが叱っている風に見え、(誘拐とは思わず)気にも留めなかった」と証言していた。 これを踏まえ、『朝日新聞』 (1969) は「それまでの下校時や夕方、1人で歩いている子供に声をかけて連れ去る誘拐事件(雅樹ちゃん誘拐殺人事件・吉展ちゃん誘拐殺人事件など)とは異なり、本事件の加害者Kは友達2人の前で被害者Aをいきなり殴りつけて連れ去った。誰もが忙しい都会の朝の雑踏と、都会人の無関心を巧みに利用し、大都会の盲点を突いた典型的な犯行で、前例のない大胆な手口だ」と、『毎日新聞』 (1969) も「Kは誰もが忙しく、他人にまで関心を抱いていられない大都会の朝の雑踏の中で、公然とAを誘拐したが、誰も犯行に気づかず、あるいは気づいても声を上げなかったためにAは殺された。そして、Kは公衆便所という簡単にプライバシーを保てる『都会の死角』を利用して犯行におよんだ。この事件は、一見華やかな大都市に隠された恐ろしさを示した事件とも言える」と指摘した。 また、本明寛(早稲田大学教授)は「改めて『都会の無関心さ』に注目された事件だ。登校時間という人通りのかなり多い時間にも拘らず、誰1人として19歳の少年が泣き叫ぶ小学生を横抱きにしているのを異常だと思わなかった。もし誰か1人が一声『大変だ!』と叫んでいれば、この事件は起こらなかっただろう」「大都市の人間は、自分の行動に責任が生じることを恐れて大勢のやることに付和雷同する心理を抱えている。『子供を泣かせているのは、多分親か兄弟だろう』という合理化を自ら行ってしまい、社会の『最初の1人』として言動する責任を回避してしまう」と指摘している。
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