町村制施行から鹿児島市編入まで
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「桜島赤水町」の記事における「町村制施行から鹿児島市編入まで」の解説
1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い、桜島の西半分にあたる横山村、赤水村、小池村、赤生原村、武村、藤野村、西道村、松浦村、二俣村、白浜村の区域より北大隅郡西桜島村が成立した。それに伴いそれまでの赤水村は西桜島村の大字「赤水」となった。1897年(明治30年)4月1日には「 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律第55号)によって北大隅郡が鹿児島郡に統合され、西桜島村は鹿児島郡のうちとなった。 1914年(大正3年)1月12日に桜島の噴火が発生した(大正大噴火)。1月18日には赤水海岸に溶岩が到達した。赤水では火風(火砕流)が発生したとの証言があった。また、沖合500メートルにあった烏島が流出した溶岩に埋没した。 桜島の噴火が発生した直後、鹿児島県や桜島の対岸に位置する鹿児島市、西桜島村が所属する鹿児島郡は、鹿児島湾内に停泊していた船舶を徴発して赤水や横山・小池などの集落に向かい救助を行った。噴火発生時の赤水の人口は1,881名であったが、鹿児島方面に避難し谷山を経て伊集院へ避難した。赤水では家屋351戸が焼失し、1名が死亡している。また、当時の集落はすべて埋没し、噴火の終息後にかつての集落の南東に移住した。また、大正溶岩によって横山との間の交通が遮断されたことにより、横山に所在していた桜洲小学校(現在の鹿児島市立桜洲小学校)への通学が出来なくなり、1928年(昭和3年)に住民によって道路が開削されるまで隣接する東桜島村の東桜島小学校(現在の鹿児島市立東桜島小学校)へ委託通学が行われた。 「桜島の大正大噴火」も参照 1973年(昭和48年)5月1日には西桜島村が町制施行し桜島町となった。1976年(昭和51年)には赤水を縦断する国道224号のうち赤水から横山の袴腰までの区間について桜島の噴火災害の避難道路として道路拡張工事が行われた。 2004年(平成16年)8月21日から翌8月22日にかけ、赤水の採石場跡地に特設された桜島特設ステージにおいて鹿児島県出身のシンガーソングライターである長渕剛の「桜島オールナイトライブ」が行われた。ライブは夜9時半から始まり翌日の朝6時半まで行われた。会場の広さは東京ドーム3つ分に及び、当日は7万5千人を動員した。また、聴衆以外にも警察官600人、警備員1,000人が配備された。2006年(平成18年)には特設会場の跡地に「叫びの肖像」などのモニュメントが設置され、周辺は赤水展望広場として整備された。 「長渕剛 ALL NIGHT LIVE IN 桜島 04.8.21」も参照
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町村制施行から鹿児島市編入まで
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「上福元町」の記事における「町村制施行から鹿児島市編入まで」の解説
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、上福元村、下福元村、和田村、塩屋村、松崎町、平川村、中村、五ケ別府村の区域より谿山郡谷山村が成立した。それまでの上福元村の区域は谷山村の大字「上福元」となった。また、上福元村には谷山村役場が設置された。1897年(明治30年)4月1日に「 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律第55号)によって谿山郡が鹿児島郡に編入され、谿山郡に属していた谷山村は鹿児島郡のうちとなった。 1924年(大正13年)には谷山村が町制施行し谷山町となった。1958年(昭和33年)に谷山町が市制施行し谷山市となり、それまでの大字上福元は谷山市の町「上福元町」となった。 1967年(昭和42年)には谷山市と鹿児島市が対等合併し、鹿児島市となった。それに伴って鹿児島市の町となった。
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