町村制施行から昭和までとは? わかりやすく解説

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町村制施行から昭和まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:15 UTC 版)

東郷町藤川」の記事における「町村制施行から昭和まで」の解説

1889年明治22年4月1日町村制施行されたのに伴い東郷のうち東部区域に当たる斧淵村山田村南瀬宍野丸村藤川村の6区域より薩摩郡上東郷村成立したそれまで藤川村上東郷村大字藤川となった1909年明治42年)には藤川にあった現王神社3社及び山津見之神等が菅原神社藤川天神)に合祀された。1931年昭和6年)に田中バスによって藤川川内バス路線運行開始された。1941年昭和16年10月3日には史蹟名勝天然紀念物保存法文化財保護法前身1つに基づき藤川天神境内にある臥龍梅が「藤川天神臥龍梅」として国の天然記念物指定された。1952年昭和27年12月1日上東郷村東郷村改称即日町制施行し東郷町となった1957年昭和32年4月1日には薩摩郡下東郷村川内市及び東郷町高城村いずれも現在の薩摩川内市)へ分割編入されることとなった下東郷村大字田海のうち字大中口、井川、賀崎、井川口、大久保赤崩寺川内の区域寺川内・井川集落人口63人、面積4.34 平方キロメートル)が東郷町編入され東郷町編入され区域同年4月15日鹿児島県公報掲載された「 廃置分合に伴う字の名称変更」(鹿児島県告示)により編入され区域大字田海4月1日付で大字藤川改称する手続きにより既に存在している大字藤川編入した。1976年昭和51年)には山間部位置している本俣集落テレビ共同受信施設完成し51戸の家庭テレビ視聴できるようになった

※この「町村制施行から昭和まで」の解説は、「東郷町藤川」の解説の一部です。
「町村制施行から昭和まで」を含む「東郷町藤川」の記事については、「東郷町藤川」の概要を参照ください。

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