町村制施行から昭和中期までとは? わかりやすく解説

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町村制施行から昭和中期まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:27 UTC 版)

宇宿 (鹿児島市)」の記事における「町村制施行から昭和中期まで」の解説

1889年明治22年4月1日町村制施行されたのに伴いそれまで鹿児島郡鹿児島近在うち中現在の鴨池)、郡元宇宿区域より鹿児島郡中郡宇村成立したそれに伴いそれまで宇宿中郡宇村大字宇宿となった1924年大正13年1月12日発生した桜島の大爆発桜島の大正大噴火)では、桜島からの避難民宇宿脇田浜に多数上陸した中郡宇村役場助役と書記を宇宿救護所出張させ、在郷軍人青年会と共に避難民救護活動実施した宇宿海岸には東桜島村持木集落現在の持木町)の住民368名が船で避難しており、避難民らは宇宿小学校収容されたのち伊集院方面移動した1934年昭和9年8月1日には、中郡宇村鹿児島郡西武田村及び吉野村と共に鹿児島市編入された。同日発行鹿児島県公報掲載され鹿児島県告示鹿兒島市内大字名廢止町名改稱竝ニ區域變更」により「宇宿廢止シ其ノ區域宇宿町(ウスキテウ)ト」することが鹿児島県知事によって許可され中郡宇村大字宇宿廃し、その区域を以て新たに鹿児島市の町「宇宿町」が設置された。1936年昭和11年)に鹿児島市宇宿町宇宿墓地新設するための工事着手した1966年昭和41年4月9日発生した低気圧影響により3時間あたり111ミリ降水量観測する豪雨となり、宇宿町などで家屋浸水被害出た1970年昭和45年)には鹿児島市消防局脇田分遣隊宇宿町設置された。

※この「町村制施行から昭和中期まで」の解説は、「宇宿 (鹿児島市)」の解説の一部です。
「町村制施行から昭和中期まで」を含む「宇宿 (鹿児島市)」の記事については、「宇宿 (鹿児島市)」の概要を参照ください。

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