町村制施行と鹿児島市との境界変更とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 町村制施行と鹿児島市との境界変更の意味・解説 

町村制施行と鹿児島市との境界変更

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 14:33 UTC 版)

武 (鹿児島市)」の記事における「町村制施行と鹿児島市との境界変更」の解説

1889年明治22年4月1日には町村制施行されたのに伴い鹿児島近在のうち西別府武村田上村区域より鹿児島郡西武田村成立した。それに伴ってそれまで武村西武田村大字「武」となった1904年明治37年)、1908年明治41年)には天保山大日本帝国陸軍演習地編入され大蔵省管轄となった1911年明治44年)になり、府県制における鹿児島県の議決機関であった鹿児島県参事会は、西武田村のうち鹿児島市との飛地となっている天保山八幡田圃及び、武の大半鹿児島市編入することを決定した。これに対して西武田村土地肥えた水田が多い地域であった前述区域鹿児島市編入されることは死活問題であるとして大い反対し、熊本県における市郡の関係を調査したほか、当時内務大臣であった原敬に対して請願を行うなど編入防止努めた。 しかし、反対運動甲斐もなく同年8月4日鹿児島県公報掲載された「 市村境界変更」(明治44年鹿児島県告示400号)により、同年9月30日を以て大字武のうち、小字大坪森田一町田、溝添、前田西牟田下小田崎、永田上小田崎、榎田冷水、小汐手、小丸、南牟田二枝三枝、浮牟田番田島廻、堀之口、川ノ口、堤内一貫地、塚濱入物田、汐入天保山四ツ之口、濱田大水町、宮田八反田上山田栗木田中福羅、城本砂走大鍋、福廻が隣接する鹿児島市編入された。これにより、鹿児島市挟んだ飛地となっていた通称八幡田圃」(現在の鹿児島市立甲南中学校付近)にあたる小字川ノ口、堤内一貫地、塚濱入物田、汐入四ツ之口、濱田区域高麗町編入され通称天保山」(現在の天保山町の北半分)の区域にあたる小字天保山区域下荒田町それぞれ編入され、また鹿児島市編入され大字武のその他の区域を以て新たに鹿児島市の町「武町」が設置された。編入時の鹿児島市武町人口は724人、世帯数156であったまた、この編入によって四十九町一反二畝一歩水田鹿児島市編入され西武田村大字武に残った水田僅かに一町二反二畝十九であった

※この「町村制施行と鹿児島市との境界変更」の解説は、「武 (鹿児島市)」の解説の一部です。
「町村制施行と鹿児島市との境界変更」を含む「武 (鹿児島市)」の記事については、「武 (鹿児島市)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「町村制施行と鹿児島市との境界変更」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「町村制施行と鹿児島市との境界変更」の関連用語

町村制施行と鹿児島市との境界変更のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



町村制施行と鹿児島市との境界変更のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの武 (鹿児島市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS