町村制施行以後の和田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 07:15 UTC 版)
「和田 (鹿児島市)」の記事における「町村制施行以後の和田」の解説
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、それまでの谷山郷にあたる下福元村、上福元村、松崎町、塩屋村、和田村、平川村、中村、山田村、五ケ別府村の区域より鹿児島郡谷山村が成立した。これに伴ってそれまでの和田村は谷山村の大字「和田」となった。1897年(明治30年)4月1日に「 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律第55号)が施行されたのに伴い谿山郡が鹿児島郡に編入され、谿山郡に属していた谷山村は鹿児島郡のうちとなった。1924年(大正13年)9月1日には谷山村が町制施行したことにより、谷山町の大字となった。1958年(昭和33年)に谷山町が単独市制施行し谷山市となり、同時に大字を町に改め、それまでの大字和田は谷山市の町「和田町」となった。 1967年(昭和42年)4月29日には谷山市が鹿児島市と対等合併し、鹿児島市となった。それに伴って鹿児島市の町「和田町」となった。 1996年(平成8年)2月13日に和田町・谷山塩屋町の一部にあたる谷山第一地区において住居表示を実施されるのに伴い、町名整理が行われ、和田町・谷山塩屋町の各一部より「和田一丁目」、和田町の一部より「和田二丁目」が設置された。同年11月18日には慈眼寺地区において住居表示が実施されるのに合わせて、和田町及び上福元町の一部が慈眼寺町に編入された。2008年(平成20年)2月25日には和田町及び下福元町の一部にあたる坂之上地区において住居表示が実施され、和田町及び下福元町の一部より坂之上一丁目が新設された。 2013年(平成25年)11月11日には和田地区において住居表示が実施され、和田町の全域及び谷山塩屋町の全域より「和田三丁目」が設置された。それに伴って和田町及び谷山塩屋町は廃止された。
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