町村制施行以降の手打
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 23:44 UTC 版)
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、下甑島にあった下甑島にある手打村、片野浦村、瀬々野浦村、青瀬村、長浜村、藺牟田村の6村が合併し下甑村が発足。それまでの手打村の区域は下甑村の大字「手打」となった。また村役場は手打に置かれた。翌年の1890年(明治23年)2月5日には、下甑村の条例「下甑村区会条例」によって町村制第64条及び第114条に基づく区である「第一区」が大字手打一円を区域として設置された。1917年(大正6年)には、村区が改正され、第一区は麓一円の字高竹以西に改められ、「濱区」が字石垣以東の濱の区域に、「在区」が在の区域に設置された。 2004年(平成16年)10月12日に下甑村が川内市、東郷町、入来町、祁答院町、樋脇町、鹿島村、上甑村、里村と新設合併し薩摩川内市が設置された。この市町村合併に伴い設置された法定合併協議会において大字名については「従前の村名を町名とし、これを従前の大字名冠したものをもって、大字とする」と協定され、旧村名である「下甑村」の村を町に置換え、従前の大字名である手打に冠することとなった。合併当日の10月12日に鹿児島県の告示である「 字の名称の変更」が鹿児島県公報に掲載された。この告示の規定に基づき即日名称の変更が行われ、大字名が「手打」から薩摩川内市の大字「下甑町手打」に改称された。
※この「町村制施行以降の手打」の解説は、「下甑町手打」の解説の一部です。
「町村制施行以降の手打」を含む「下甑町手打」の記事については、「下甑町手打」の概要を参照ください。
- 町村制施行以降の手打のページへのリンク