町村制施行以後の西方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 00:47 UTC 版)
「西方町 (薩摩川内市)」の記事における「町村制施行以後の西方」の解説
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、それまでの高城郷の区域より高城村が成立し、西方村は高城村の大字「西方」となった。1960年(昭和35年)には高城村が町制施行し高城町の大字となった。 1965年(昭和40年)4月15日には高城町が川内市に編入された。同日に鹿児島県公報に掲載された「 字の廃止及び字の新設」により同日付を以て大字西方が廃止され、大字西方の区域を以て川内市の町「西方町」が設置された。 2004年(平成16年)10月12日に川内市、東郷町、入来町、祁答院町、樋脇町、下甑村、上甑村、鹿島村、里村が新設合併し薩摩川内市が設置された。この市町村合併に伴い設置された法定合併協議会において川内市の町・字については「現行通りとする。」と協定されたため、名称の変更は行われずに薩摩川内市の町となった。
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