町村制施行前の西方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 00:47 UTC 版)
「西方町 (薩摩川内市)」の記事における「町村制施行前の西方」の解説
西方という地名は戦国期より見え、薩摩国高城郡のうちであった。江戸期には高城郡高城郷(外城)のうちであり、村高は「加増目録」では126石余、「旧高旧領」では520石余であった。 村域内には薩摩街道が通っており、島津家久が町下通りに御仮屋を置き、参勤交代の際の休憩所として使用された。
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