町村制施行以後の青瀬とは? わかりやすく解説

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町村制施行以後の青瀬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 23:36 UTC 版)

下甑町青瀬」の記事における「町村制施行以後の青瀬」の解説

1889年明治22年)に町村制施行されたのに伴い下甑島にあった下甑島にある手打片野浦瀬々野浦青瀬長浜村藺牟田村の6合併し下甑村発足それまで青瀬区域下甑村大字青瀬となった翌年1890年明治23年2月5日には、下甑村条例下甑村区会条例」によって町村制64条及び第114条に基づく区である「第四区」が大字青瀬一円区域として設置された。 1947年昭和22年)に青瀬青瀬区域管轄する下甑村役場第四出張所置かれ1950年昭和25年)には「下甑村役場出張所設置条例」が制定され第四出張所青瀬出張所改められた。1952年昭和27年)には手打設置されている村役場位置不便なことが多いと村議会協議会議題上がり役場移転協議された。その結果同年3月27日行われた下甑村臨時議会において役場位置大字青瀬移転する下甑村役場位置に関する条例改正する条例」が議決された。4月5日村議会では村長職務代理者となっていた助役より「急施要する事件とは認められない」、「財政上困難である」、「の平和を紊す」として再議すべきとの議案提出された。この再議議案に対して分村動議提出されることとなり、結果として分村についての審議新たに案として出され青瀬村役場支所設置する条例審議並行して行われることとなった審議結果青瀬支所設置することで決着し1954年昭和29年4月8日青瀬支所庁舎竣工した。なお、青瀬支所交通事情改善によって支所設置必要性希薄になったとして1986年昭和61年1月1日廃止された。 2004年平成16年10月12日下甑村川内市東郷町入来町祁答院町樋脇町鹿島村上甑村里村新設合併薩摩川内市設置された。この市町村合併に伴い設置され法定合併協議会において大字名については「従前名を町名とし、これを従前大字名冠したものをもって大字とする」と協定され、旧村名である「下甑村」のを町に置換え従前大字名である青瀬冠することとなった合併当日10月12日鹿児島県告示である「 字の名称の変更」が鹿児島県公報掲載された。この告示規定に基づき即日名称の変更が行われ、大字名が「青瀬」から薩摩川内市大字下甑町青瀬」に改称された。

※この「町村制施行以後の青瀬」の解説は、「下甑町青瀬」の解説の一部です。
「町村制施行以後の青瀬」を含む「下甑町青瀬」の記事については、「下甑町青瀬」の概要を参照ください。

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