町村制施行以後の青瀬
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1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、下甑島にあった下甑島にある手打村、片野浦村、瀬々野浦村、青瀬村、長浜村、藺牟田村の6村が合併し下甑村が発足。それまでの青瀬村の区域は下甑村の大字「青瀬」となった。翌年の1890年(明治23年)2月5日には、下甑村の条例「下甑村区会条例」によって町村制第64条及び第114条に基づく区である「第四区」が大字青瀬一円を区域として設置された。 1947年(昭和22年)に青瀬に青瀬の区域を管轄する下甑村役場第四出張所が置かれ、1950年(昭和25年)には「下甑村役場出張所設置条例」が制定され、第四出張所は青瀬出張所に改められた。1952年(昭和27年)には手打に設置されている村役場の位置が不便なことが多いと村議会の協議会で議題に上がり、役場の移転が協議された。その結果、同年3月27日に行われた下甑村臨時議会において役場の位置を大字青瀬に移転する「下甑村役場位置に関する条例を改正する条例」が議決された。4月5日の村議会では村長職務代理者となっていた助役より「急施を要する事件とは認められない」、「村財政上困難である」、「村の平和を紊す」として再議すべきとの議案が提出された。この再議議案に対して分村の動議が提出されることとなり、結果として分村についての審議と新たに案として出された青瀬に村役場支所を設置する条例の審議が並行して行われることとなった。 審議の結果、青瀬に支所を設置することで決着し、1954年(昭和29年)4月8日に青瀬支所の庁舎が竣工した。なお、青瀬支所は交通事情の改善によって支所設置の必要性が希薄になったとして1986年(昭和61年)1月1日に廃止された。 2004年(平成16年)10月12日に下甑村が川内市、東郷町、入来町、祁答院町、樋脇町、鹿島村、上甑村、里村と新設合併し薩摩川内市が設置された。この市町村合併に伴い設置された法定合併協議会において大字名については「従前の村名を町名とし、これを従前の大字名冠したものをもって、大字とする」と協定され、旧村名である「下甑村」の村を町に置換え、従前の大字名である青瀬に冠することとなった。合併当日の10月12日に鹿児島県の告示である「 字の名称の変更」が鹿児島県公報に掲載された。この告示の規定に基づき即日名称の変更が行われ、大字名が「青瀬」から薩摩川内市の大字「下甑町青瀬」に改称された。
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