町村制施行から廃止まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 04:37 UTC 版)
「谷山塩屋町」の記事における「町村制施行から廃止まで」の解説
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、それまでの谷山郷にあたる下福元村、上福元村、松崎町、塩屋村、和田村、平川村、中村、山田村、五ケ別府村の区域より鹿児島郡谷山村が成立した。これに伴ってそれまでの塩屋村は谷山村の大字「塩屋」となった。1897年(明治30年)4月1日に「 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律第55号)が施行されたのに伴い谿山郡が鹿児島郡に編入され、谿山郡に属していた谷山村は鹿児島郡のうちとなった。1924年(大正13年)9月1日には谷山村が町制施行したことにより、谷山町の大字となった。 1954年(昭和29年)には妙行寺の本堂を保育室として開放してこれがのちに谷山幼稚園となった。1958年(昭和33年)に谷山町が単独市制施行し谷山市となり、同時に大字を町に改め、それまでの大字塩屋は谷山市の町「塩屋町」となった。1967年(昭和42年)4月29日には谷山市が鹿児島市と対等合併し、鹿児島市となった。合併に先だって同年3月8日の鹿児島県公報に掲載された「 町の名称の変更」(昭和42年鹿児島県告示第178号)によって合併の前日となる4月28日に塩屋町の名称が「谷山塩屋町」へ改称された。 1967年(昭和42年)から1971年(昭和46年)にかけて鹿児島開発事業団によって谷山塩屋町沖の鹿児島湾上に鹿児島臨海工業地帯の二号用地(永田川南岸から)が埋め立てにより造成され、二号用地のうち流通業務団地(卸商業団地)の区域を以て1971年(昭和46年)に公有水面埋立地及び谷山塩屋町、和田町の各一部より卸本町が設置された。 1979年(昭和54年)2月26日に笹貫・谷山塩屋地区の区域において住居表示が実施されることとなった。それに伴い町域の再編が実施され谷山塩屋町、上福元町の各一部より東谷山一丁目が設置された。1981年(昭和56年)2月23日には小松原地区において住居表示が実施され、谷山塩屋町の一部のうち土地区画整理事業によって区画整理が実施された区域が小松原一丁目に編入され、同じく谷山塩屋町の一部より小松原二丁目が設置された。 1996年(平成8年)2月13日に上福元町・谷山塩屋町の各一部より谷山中央二丁目・谷山中央三丁目、上福元町・下福元町・谷山塩屋町の各一部より谷山中央四丁目、和田町・谷山塩屋町の各一部より和田一丁目がそれぞれ設置された。2013年(平成25年)11月11日には和田地区において住居表示が実施され、谷山塩屋町の区域(約4ha)及び和田町の全域より和田三丁目が新設され、谷山塩屋町は廃止された。
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