現代のジョホール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 15:02 UTC 版)
詳細は「ジョホール州」を参照 イギリスの支配下にあっても、ジョホールは諸侯国のひとつとして世襲のスルタンが王位を継承した。第二次世界大戦中は日本(大日本帝国)、戦後は再びイギリスの支配下に置かれ、1948年、イギリス保護領のマラヤ連邦の一部となった。1957年にはマラヤ連邦がイギリスより独立を果たし、1963年、シンガポールおよびイギリス植民地のサラワクとサバを合わせて立憲君主制の連邦国家「マレーシア」となったが、その際、ジョホールは連邦を構成する1つの州(ジョホール州)となって、現在に至っている。なお、1965年にはマレーシアよりシンガポールが分離・独立したが、現代のジョホールはその位置より、経済的・文化的にシンガポールとの結びつきが最も強い地域となっている。 スルタンの世襲は現在もつづいており、16世紀以来の伝統を今に伝えている。ジョホール州のスルタンは、他州のスルタン同様、マレーシア国王候補の資格をもち、国王選挙権を有している。なお、マレーシアの国王は現在、国内13州のうち9州(ジョホール州・クダ州・クランタン州・ヌグリ・スンビラン州・パハン州・ペラ州・プルリス州・スランゴール州・トレンガヌ州)にいるスルタンによる互選で選出され、任期5年となっている。互選が建前になっているものの、実際には輪番制に近い象徴的な君主である。 なお、ジョホール沖7.7海里に所在する無人島のペドラ・ブランカ島をめぐって、シンガポール・マレーシア両国間に領土問題が生じたことがある。島はもともとジョホール王国の領土であったが、1850年代にイギリスが島内にホースバー灯台(英語版)を建て、シンガポール政府に管理を任せた。1965年のシンガポール分離独立後もシンガポールによる実効支配がつづいた。紛争の発端は、1980年、マレーシア政府が新作成の地図にペドラ・ブランカ島を自国領土として記載し、シンガポールが異議を提出したことにある。以後、両国間で領土問題について協議が行われてきたが、解決せず、最終的に国際司法裁判所(ICJ)の判断をあおいだ。2008年、国際司法裁判所はシンガポールの領有権を認めた。この裁判の結果を最終的に左右したのは、1953年9月にイギリス植民地政府に対し、ジョホール王国の国務長官代理が「島の所有を主張しない」と伝えた書簡の存在(シンガポール側が証拠書類として提出)であった。
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