ペドラ・ブランカ島とは? わかりやすく解説

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ペドラブランカ‐とう〔‐タウ〕【ペドラブランカ島】

読み方:ぺどらぶらんかとう

Pedra Brancaマレー半島南部南シナ海に浮かぶ島。マレーシアバトゥプテ島シンガポール海峡入口位置する。もとはジョホール王国(現マレーシア)領。シンガポール独立後、マレーシアとの間で同島の領有権争われていたが、2008年シンガポール領であることが確定した


ペドラ・ブランカ島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 01:56 UTC 版)

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Pedra Branca
外交紛争のある島
南シナ海にペドラ・ブランカ島の概略位置
地理
所在地 南シナ海
座標 北緯1度19分49秒 東経104度24分21秒 / 北緯1.330368度 東経104.405883度 / 1.330368; 104.405883座標: 北緯1度19分49秒 東経104度24分21秒 / 北緯1.330368度 東経104.405883度 / 1.330368; 104.405883
実効支配
 シンガポール
領有権主張
 マレーシア

ペドラ・ブランカ島シンガポール名:Pedra Brancaマレーシア名:Batu Puteh中国語名:白礁)は、マレー半島南部ジョホールの7.7カイリ沖、南シナ海から半島東岸に沿ってシンガポール海峡に入る位置にある花崗岩性の無人島である[注釈 1]。面積は8560平方メートルであり、サッカー場の半分ほどと小さいが、その位置から戦略的に重要な意味を持ち、シンガポールマレーシア間の領土問題になった。2008年にシンガポールの領土であることが確定した[1]

領土問題

ペドラ・ブランカ島は元々ジョホール王国(現マレーシア)の領土だった。1850年代イギリスは島を占有している時、島にホースバー灯台を建て、シンガポールに島を管理させた。1965年マレーシアからシンガポールが分離独立して以来、島の領有権は定められていなかった[2]

論争の発端は、1980年、マレーシアが新しい地図にペドラ・ブランカ島を自国領土として記載し、これに対しシンガポールが異議を提出したことによる。以後、両国間で数年にわたり協議が行われてきたが、両国間では領土問題が解決できず、国際連合の最高司法機関である国際司法裁判所(ICJ)に判断を委ねることになった。

国際裁決

2008年国際司法裁判所は12対4で、1980年までにペドラ・ブランカ島の領有権はシンガポールに移転されたから、島の実効支配者であるシンガポールの領有権を認めた判決を下し、28年間にわたった論争を終わらせた。一方で、島の沖1キロメートルに位置する岩礁ミドル・ロックスは、マレーシア領有である判決を下した。

この裁判の結果を最終的に左右したのは、1953年9月、イギリス植民地政府に対し、ジョホール王国の国務長官代理が「島の所有を主張しない」と伝えた書簡の存在(シンガポール側が証拠書類として提出)であった[3]

脚注

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注釈

  1. ^ ペドラ・ブランカは、ポルトガル語で「白い岩」を意味している。

出典

関連項目



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