珪石鉱床の発見と開発とは? わかりやすく解説

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珪石鉱床の発見と開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 02:09 UTC 版)

伊豆珪石鉱山」の記事における「珪石鉱床の発見と開発」の解説

宇久須珪石鉱床は、1897年遠江出身山内弥三郎発見した伝えられている。山内宇久須珪石採掘粉砕した上で輸送販売する事業起こしたが、約3年事業中止となったその後6名の人物鉱山事業取り組んだものの、全員成功しなかった。 1933年旭硝子賀茂郡宇久須村珪石鉱床についての情報入手し調査開始した板ガラス製造欠かせない珪砂は、旭硝子では創業時から和歌山県白浜町湯崎白浜海岸の砂を利用していたが、二酸化ケイ素以外の不純物含有量が多い上に埋蔵量少なくガラス原料には不向きであった旭硝子としては日本各地良質な珪砂発見努めたものの、なかなか良いものが見つからなかった。そこで朝鮮半島中国方面にも調査の手伸ばしたところ、1914年全羅南道木浦近く大黒山島、そして1917年には黄海道の九味浦で良質な珪砂発見した中でも九味浦の珪砂二酸化ケイ素含有量97パーセント超え埋蔵量も豊富でありガラス原料として優良であった埋蔵量少なかった大黒山島珪砂は約10年枯渇したものの、九味浦の珪砂安定的に供給され続け戦前期旭硝子の主要珪砂供給源となった。しかし旭硝子板ガラス需要拡大見て更なる珪砂資源確保努めたそのような中で検討され方法一つが、珪石細かく粉砕し珪砂を得る方法であった1930年からはフランス領インドシナからの珪砂輸入始まり中でもカムラン湾珪砂は、九味浦を上回る品質であった一方珪石粉砕による珪砂製造という点から着目したのが宇久須珪石であった旭硝子による調査結果宇久須珪石不純物少なく朝鮮産の珪砂上回る品質であり、しかも埋蔵量も豊富であることが判明した1936年末には海上輸送運賃高騰し、また次第国際的な緊張高まっていく情勢下ではカムラン湾からの珪砂安定して確保できるかどうか不透明になりつつあった。 しかし板ガラス原料としてこれまで珪砂利用されており、珪石細かく粉砕し板ガラス原料とした例は無かった。そこで旭硝子試験場では宇久須産の珪石使用して板ガラス製造する試験繰り返し鶴見工場でも実用試験行った上で利用可能との判断下された。 また旭硝子鉱区所有権者らから権利回収進め資源量詳細調査行っていた。1933年3月には国内珪砂供給体制強化目的とした旭硝子全額出費による新会社東海工業宇久須本社として設立され、翌1934年6月には宇久須珪石粉砕する砕石工場建設された。また宇久須には珪石搬出用として、50トンクラスの船舶横付け可能な桟橋設けられた。1935年から本格的な珪石採掘開始され旭硝子鶴見工場板ガラス原料として供給されるようになった国際情勢緊迫化する中でフランス領インドシナ情勢悪化していき、1939年にはカムラン湾からの珪砂輸入ストップした1941年宇久須では19000トン近く珪石採掘した。しかし戦時体制強化されていく中で後述明礬石鉱床開発優先されたことと、戦況の悪化によって珪石採掘量は激減する

※この「珪石鉱床の発見と開発」の解説は、「伊豆珪石鉱山」の解説の一部です。
「珪石鉱床の発見と開発」を含む「伊豆珪石鉱山」の記事については、「伊豆珪石鉱山」の概要を参照ください。

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