特攻機の貫通力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:16 UTC 版)
日本海軍は鹿島爆撃場にて1935年4月頃から半年間に渡って、50mmの鋼板を張ったレキシントン級航空母艦の一部を想定した実物大標的を作り、急降下爆撃で250kg爆弾を投下しその貫通力を調査すると共に、高速度写真撮影機を持ち込み、撃角(貫通する爆弾の命中角度)と均衡撃速(鋼板を貫通できて、貫通後は速度が0になる速度、つまり鋼板を貫通可能な最低速度)を測定する実験を行っている。 また25m2の爆撃目標に50mm - 70mmの鋼板を張り戦艦に見立てて、500kg爆弾と800kg爆弾で同様な実験をしているが、その結果が下記の表となる。 250kg爆弾 - 800kg爆弾の貫通力、撃速、撃角、投下高度実験(昭和10年 日本海軍鹿島爆撃場) 弾種艦種(想定)鋼板厚均衡撃速撃角投下高度250kg爆弾 空母 50mm 496.8km/h 69.3度 900m 500kg爆弾 戦艦 50mm 378km/h 67.11度 600m 500kg爆弾 戦艦 70mm 468km/h 67.6度 750m 800kg爆弾 戦艦 70mm 450km/h 66.52度 700m 角度次第では400km/hでも50mm以上の鋼板を貫通することもでき、チーク材と薄い鋼板でできているアメリカ軍空母の飛行甲板であれば、もっと浅い角度でも十分に貫通する事もでき、戦艦などの戦闘艦でもバイタルパート以外の装甲板であれば貫通できる可能性はあった。実際に、大戦中に数多く損傷を受けながらもオーバーホール・改修以外は長期戦線離脱をしなかった空母エンタープライズが沖縄戦中に富安中尉の爆装零戦1機の突入を受け大破し長期戦線離脱したり、神風特攻金剛隊の零戦1機が戦艦ニューメキシコの航海艦橋に突入して破壊し、艦長以下本艦幕僚の殆どが死傷したり、少数の特攻機の突入で主力艦に深刻な損害を与えた事例は枚挙に暇がない。 特攻に主に使われた零戦は、もともと空戦用にできているため急降下すると機首が浮き上がり、速度で舵も鈍くなるため正確に突入するのは難しかった。それが原因で、特攻機の爆弾が敵艦を貫通しないケースも少なからずあった。戦果確認機からの過大戦果報告に疑念を感じていた軍令部次長大西中将が、第一航空技術廠長の多田力三中将に特攻の効果についての実験を要請している。その要請を受けて、第一航空技術廠と横須賀海軍航空隊は1945年5月に協同で、250kg爆弾を搭載した無人の零戦をカタパルトで射出し、様々な角度で鋼板に衝突させる実験を行った。その結果、30度以上の角度では爆弾も機体も鋼板を貫通するが、30度未満の角度では鋼板の上を滑って機体も爆弾も跳躍してしまうことが判明した。この実験結果を見て大西は、搭乗員の心理作用で突入角度が浅くなるケースがあることを認識したが、実際は深い角度での突入はかなり困難であり、沖縄戦時の菊水作戦中に第5航空艦隊参謀に就任していた中島正中佐が出撃する特攻隊員に「ダイブ(急降下)角は45度」という訓示をしているが、中島の訓示の後に第七二一海軍航空隊の林富士夫大尉が「中島中佐は自分が飛ばないからわからない。高い角度のダイブで突入することは不可能で、せいぜい20~30度である。突入は舷側を狙え」と中島の指示を訂正している。 しかし、沖縄戦で富安俊助中尉が空母エンタープライズを大破させたときの最終突入確度は50度に達しており、深い角度で突入した事例もある。一方で、フィリピンにおいて護衛空母のセント・ローに命中した敷島隊の零戦は、まるで着艦でもする様な高度(30m)で接近してきてそのまま時速480km/hで浅い角度で体当たりしたが、搭載爆弾は甲板を貫通、格納庫で爆発し、燃料や弾薬を誘爆させ合計7回の爆発を経たのちに、特攻機命中からわずか32分後に爆沈したように、いずれにしても、実戦においては、爆撃も特攻もその状況に応じて、終速や命中角度や効果は大きく異なるため、一律に爆撃が速いとか、特攻の突入角度が浅いとか評価する事はできない。
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