灰式カイロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:10 UTC 版)
江戸時代の元禄期初期には、懐炉灰(木炭粉末に、保温力の強いナスの茎の灰などを混ぜたもの)を通気孔の開いた金属容器に入れ、燃焼させるカイロがあったことが知られている。この木炭粉末に混ぜる灰は、麻殻や桐灰も使われた。 明治時代に入ると、金属製の筐体にロックウールを保持媒体として内蔵する灰式カイロを製造するメーカーが国内に多数現れ、同様の構造を持つ豆炭行火と共に、安価で簡便な暖房器具として大いに普及した。1904年(明治37年)には麻の一大生産地である栃木県で麻殻を再利用した懐炉灰の大量生産が始まった事も、その普及を後押しした。なお、灰式カイロは 1888年(明治21年) に米国ウィスコンシン州の地方紙に "The Jap's Pocket Stove" として紹介されている。明治から大正に掛けて製品化された懐炉灰は、棒状に整形されて紙に包まれており、紙に点火することで容易に着火が可能な形態となっていた。内部にロックウールを内蔵せず、複雑に通気穴が開けられた二重構造の金属筐体を持つものもあり、円形の比較的大きな筐体を有するものもあった。円形の灰式カイロ向けには、渦巻き型に整形された懐炉灰が用いられた。 灰式カイロは大正時代に後述の白金触媒式が登場すると徐々に市場シェアを縮小させていき、昭和時代中期に使い捨てカイロが台頭して以降は桐灰化学、マイコール、楠灰製造などごく僅かなメーカーのみが製造を継続する状況となっていった。この時期の灰式カイロは懐炉灰に点火すると8時間程度発熱する設計となっており、持続時間では白金触媒式、利用の簡便さでは使い捨てカイロに大きく劣る状況であったが、燃焼時に水分を全く発生させない構造から、特にカメラや天体望遠鏡のレンズを温めて結露を除去する用途で根強い需要が存在し続けており、登山カメラマンの間でも燃料の携帯が安全かつ容易なことから、この形式の人気は根強いものがあった。 2010年代初頭、国内で最後まで灰式カイロを製造していた楠灰製造が登山用品メーカーのハイマウント社向けのOEM供給品の生産を終了し、日本国内ではこの形式のカイロを製造するメーカーは皆無となった。海外ではイギリスのアウトドア用品メーカーであるゲラート (会社)(英語版)社が製造販売を継続しているが、国内企業からは懐炉灰の供給も途絶えているため、愛好者は輸入品、もしくは香炉で用いられる香炭を代用燃料として利用している状況である。 灰式カイロと固形の懐炉灰 燃焼中の灰式カイロ
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