渡瀬組
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『5』に登場した組。大阪北に拠点を持ち、郷田龍司率いる二代目郷龍会亡き後の近江連合において一番の武闘派として知られている。 渡瀬 勝(わたせ まさる) 声 - 西凛太朗 七代目近江連合若頭で、直参渡瀬組組長。刺青は背中に阿修羅、右腕に輪宝と左腕に独鈷杵。「強い奴と喧嘩がしたくてヤクザになった」と豪語するほどの武闘派で、好戦的ではあるが、裏表が無く人間関係には律儀なために人望を集めている。また、極道として最低限の腹芸を身につけているものの、本質的には兄弟分の勝矢が自身を庇って撃たれた時は「なんで俺の事守ったんや」と涙し、自身を利用していた代紋違いの兄弟分である青山の死さえも深く悼み、親である黒澤に裏切られた時も恨みよりも寂しさを感じるなど、義理人情を重んじる性格をしている。戦闘では桐生と比べてやや小柄な体格を物ともせず、大振りながらも強力な打撃技やタックルなどの豪快な技を多用する。七代目危篤後の跡目争いでは最有力と見られており、自身も既に継いだ後のことを考えているため、桐生のいない東城会を敵として物足りなく感じて彼を東城会へ復帰させるために福岡へ向かったが、その目論見は叶わなかった。その後、埠頭での東城会と八幡組の抗争の際には、乱入した桐生の抑えとして青山に呼ばれるが、桐生の条件を飲んで立会人として中立の立場を守り続けた。福岡の騒動後は跡目争いにケリを付けるために大阪に戻ったところを各地で起こった事件の黒幕が勝矢であることや、逢坂興業が神室町入りをしたことを聞いて激怒し、組を引き連れて東京へ向かい、桐生や冴島と共に勝矢の元に現れて彼の真意を知ったことで潰し合いを演出するために桐生と戦うも完敗する。その後は現れた黒幕である黒澤に発砲されるも勝矢に庇われ、近江八代目を継ぐことを頼まれる。その後、勝矢が収容された病院ですれ違った品田との問答で自身の取るべき道を決めて北方組や山笠組と共に神室町から黒澤一派を追い出す。決着後は秋山の尽力に感謝の意と共に頭を下げ、秋山に「アンタって人の器のデカさが身に染みて分かるよ」と恐縮させた。 『7』でも八代目近江連合若頭、直参渡瀬組組長として登場した。政治家や警察官僚の一部が暴対法を利用し、極道を好きなように利用する現状と、そんな現状に置かれている極道そのものの価値の在り方や未来に疑問を持ち、堂島大吾との同調により、近江連合・東城会の同時解散を目的に掲げていた。しかし、作戦決行直前に組員の警察による嫌がらせに対する逆らいにより「使用者責任」の罪を着せられ逮捕され、2年間服役してしまう事となる。その間、堂島は幹部の真島吾朗、冴島大河と身を隠しつつも、傘下団体「荒川組」組長だった荒川真澄の協力の元、東京都知事・青木遼が掲げる「神室町3K作戦」を逆手に取る形で、東城会の神室町撤退、荒川の近江連合寝返りによる勢力分断工作など、着実に「勢力を削ぐ」作戦を実行しながら、渡瀬の出所を待っていた。出所前日、荒川の計らいで春日一番とその仲間の協力を得られ、出所後、近江連合本部で行われた出所祝いの席で、八代目近江連合会長との連名と称して近江連合解散を宣言した。その際、解散に猛反発する出席者らの暴動に発展する中、反対派幹部の一人に襲われそうになったが、予め、反対派幹部達による暴動が起こることを想定し、「どこの誰かもわからない臨時雇いの用心棒」として雇っていた「生きているはずのない人間」である桐生一馬が助けに入って難を逃れ、また、これによりその場にいた全員に桐生一馬の存在が知れ渡る事となった。堂島から「あんたが見つけたのか?あの人を」と問いかけられたが、「あれは臨時雇いのただの用心棒や、名前も知らん」とシラを切り、渡瀬の口から桐生の名前は一切語られなかった。この騒動の後日、堂島と共に大阪府警に解散届けを提出した。解散宣言後、近江連合の残党に堂島と共に襲撃されたが、共に命に別状はなく、エンディングでは荒川親子のお別れ会にも堂島、真島、冴島、安村らと共に出席しており、元近江連合・元東城会組員の受け皿として、堂島らと共に大阪・蒼天堀に警備会社を立ち上げた事が語られた。 このほか、デリバリーヘルプのキャストとしても登場し、敵一体に確率で攻撃力を低下させる攻撃を放つ「阿修羅百裂掌」という技を使う。
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