海戦の終結
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「サン・ビセンテ岬の海戦」の記事における「海戦の終結」の解説
安全が確認されるまでネルソンは捕獲したスペイン艦にとどまり、すれ違うイギリス艦からの喝采を受けた。彼はミラー艦長に感謝するために「キャプテン」に戻り、「サン・ニコラス」の艦長の帯剣をミラーに授与した。 午後5時、ネルソンは航行不能となった「キャプテン」から「イリジスタブル」に将旗を移した。煙で汚れ、裂けた軍服のままでネルソンは「ヴィクトリー」に赴き、その艦尾甲板でジャーヴィス提督に迎えられた。提督はネルソンを抱きしめ、感謝してもしきれないといって称えた。 それは、イギリス海軍の偉大な、喜ばしい勝利であった。15隻のイギリス艦が、27隻の、しかもはるかに多くの砲を備え、兵員を擁したスペイン艦隊を破ったのである。ジャーヴィス提督は高い規律をもった戦力を鍛え上げており、それが、パニックに襲われた群衆といくらも変わらなかったコルドバのスペイン艦隊に立ち向かったのだった。コルドバの船の600ないし900名の乗組員のうち訓練された水兵はわずか60名から80名程度であり、残りは陸兵や未熟な陸上生活者であった。スペイン兵は勇敢に戦ったが統率を欠いていた。捕獲後の「サン・ホセ」では、その砲の一部に、砲口に木栓がされたままのものが見つかった。スペイン艦隊における混乱はそれほど大きく、双方のダメージの差といった要因が無くとも彼らの砲は十分に使える状態ではなかったのである。 イギリスにとって、この戦いの大きな成果は、スペイン艦隊がその後2年の間港にとどまることを余儀なくされ、フランスのイギリス侵略を不可能にしたことである。イギリスの勝利がわずか15隻の戦列艦によって成し遂げられたのは、スペイン海軍の練度の低さもさりながら、彼らがコルドバの直率する6隻の集団に攻撃を集中し、決して1対1で戦わなかったことによる。そして特筆すべきは、その乱戦の冒頭において、ネルソンの「キャプテン」がジャーヴィスの命令から離脱し、自らの判断によりコルドバの前に立ちふさがったことである。
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海戦の終結
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「ヘルゴラント海戦 (1914)」の記事における「海戦の終結」の解説
ヘルゴラント海戦は、イギリス側の明白な勝利に終った。ドイツ海軍は、3隻の軽巡洋艦・1隻の魚雷艇、1,200名以上の将兵を失ったが、イギリス側では、軽巡洋艦アリシューザが損傷を受けたに留まったからである。イギリス側の将兵の損失は、わずか35名に過ぎなかった。 この海戦は、ドイツの作戦の拙さを露呈させることになった。つまり、巡洋戦艦はイェーデの繋留地点から出撃のタイミングを逃したし、またそれぞれの艦艇が、個々に連携なしに戦闘に送り込まれるという戦術の拙さもこれに祟った。彼らはもちろんそのことに気づいていたにも係わらず、ドイツの艦船は、いつも後手に回ったのである。この敗北を見て、皇帝は、今後いかなる海戦も彼の裁可なしに遂行を許さないと厳命した。 イギリス人にとって、このドイツ海軍の水域における勝利は、参加した各艦隊の連携も不完全な形でしか機能しなかったものの、ドイツ軍のフランス侵攻を目の当たりにしている以上、ある意味心理的に重大な成果でもあった。
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海戦の終結
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「ヘルゴラント・バイト海戦」の記事における「海戦の終結」の解説
ヘルゴラント・バイト海戦は、イギリス側の明白な勝利に終った。ドイツ海軍は、3隻の軽巡洋艦・1隻の魚雷艇、1,200名以上の将兵を失ったが、イギリス側では、軽巡洋艦アリシューザが損傷を受けたに留まったからである。イギリス側の将兵の損失は、わずか35名に過ぎなかった。 この海戦は、ドイツの作戦の拙さを露呈させることになった。つまり、巡洋戦艦はイェーデの繋留地点から出撃のタイミングを逃したし、またそれぞれの艦艇が、個々に連携なしに戦闘に送り込まれるという戦術の拙さもこれに祟った。彼らはもちろんそのことに気づいていたにも係わらず、ドイツの艦船は、いつも後手に回ったのである。この敗北を見て、皇帝は、今後いかなる海戦も彼の裁可なしに遂行を許さないと厳命した。 イギリス人にとって、このドイツ海軍の水域における勝利は、参加した各艦隊の連携も不完全な形でしか機能しなかったものの、ドイツ軍のフランス侵攻を目の当たりにしている以上、ある意味心理的に重大な成果でもあった。
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