海戦と包囲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:03 UTC 版)
ゴードン・グレンジャー少将指揮下の上陸部隊は8月3日に攻撃開始できる状態だったが、ファラガットは4番目の装甲艦であるUSSテクムセの到着を待とうとした。USSテクムセはすぐにも到着する予定だったが、ペンサコーラ出港で遅れていた。ファラガットは装甲艦3艦と陸軍だけで進行する決断をするところだった。陸軍は海軍の意図を誤解したままドーフィン島の岸に揚がっていた。艦隊はまだ動き出す準備ができていなかったので、守備隊はゲインズ砦に援軍を走らせることができた。戦闘が終わった後で、ファラガットはこの遅れが実際には北軍に有利に働いたと判断した。この援軍はそれほど大きなものではなかったので、戦闘にさほど影響を与えず、降伏した中に含まれることになったからだった。 陸軍が上陸する中、遅ればせながらテクムセが到着し、ファラガットはその艦隊の最終的な配置を決めた。木造船殻の艦14艦は2艦ずつロープで結ばれた。これはルイジアナ州ポートハドソンでファラガットが使った戦術の再現だった。その意図は、もし1艦が機関に損傷を受けて動けなくなったとしても、他方がそのまま引いて行けるというものだった。 装甲艦が1列縦隊をなし、海峡の右側、モーガン砦に近い方を通って湾に入ることとされた。その他の艦船は別に2列縦隊を形成し、装甲艦の左舷側を通り、砦からの攻撃から装甲艦が遮蔽となって守ってもらうものとしていた。南軍の艦隊が予想通り現れたときは、装甲艦が南軍の装甲艦CSSテネシーの攻撃に動き、残りの艦は足の速い砲艦と戦うこととされていた。
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