民政・財政とは? わかりやすく解説

民政・財政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:32 UTC 版)

光武帝」の記事における「民政・財政」の解説

前漢以来混乱中国疲弊し前漢最盛期で約6千万となった人口光武帝時代には2千万ほどに減少していた。この対策として光武帝は奴卑解放および大赦数度わたって実施し自由民増加させることで農村生産力向上と民心獲得図った徴兵制廃止して通常農業生産従事させ有事に兵となす屯田兵用い生産需要均衡崩壊したことによる飢饉や、辺境への食料輸送問題緩和した人民身分に関する政策としては上記の奴卑解放令の他、35年建武11年)には「天地之性、人為貴。(この世界においては、人であることが尊い)」で始まる詔を発し奴婢良民刑法上の平等を宣言したことが挙げられる。また31年建武7年)に売人法、37年建武13年)に略人法を公布し人身売買規制した租税については、それまで王朝軍事財政の不足を理由収穫の1/10としていたのを30年建武6年)に前漢同じく1/30とし、人民の不満の緩和図った。この減税が可能となった背景として、屯田施行により兵士糧食確保できるようになったことがある徴兵帰農させた後、39年建武15年)に耕地面積戸籍との全国調査施行し人民支配基礎固め国家財政確立した。もっとも、この耕地戸籍調査の際には首都のある河南郡皇帝郷里である南陽郡で不正申告おこなわれた。両郡の豪族権勢有していたことを示す事件である。また調査に不満を抱いた地方豪族農民糾合して反乱をおこすこともあった。 王莽貨幣制度混乱させたため後漢初期には粗悪な貨幣流通していたが、40年建武16年)には前漢武帝以来五銖銭鋳造始められ貨幣制度整備された。以上により統一王朝としての後漢王朝実体がほぼ備わった

※この「民政・財政」の解説は、「光武帝」の解説の一部です。
「民政・財政」を含む「光武帝」の記事については、「光武帝」の概要を参照ください。

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