初代台湾省主席とは? わかりやすく解説

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初代台湾省主席

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:36 UTC 版)

魏道明」の記事における「初代台湾省主席」の解説

1947年台湾では二二八事件発生し時の台湾省行政長官である陳儀免職され、4月22日には行政長官の職が廃止され台湾省政府改組されることとなり、魏道明初代台湾省主席任命された。 台湾到着した魏道明は、省政府の下に民政・財政建設教育の4庁を設置し13の省府委員組織した赴任後わずか7日後に発表され13人の省政府委員中には台湾籍の人間過半数の7人を占め、その中には台湾一の博士である杜聡明林献堂含まれていたため、緊迫していた台湾情勢いくらか和らぐこととなった5月16日、初の台湾省省政会議行い、その会議の中で「これからは、最大限努力をもって台湾の幸福を考えていくだけだ」と発言している。 魏道明赴任後、ただちに戒厳令取り消し二二八事件後の農村捜査を終わらせ、交通管制を解くなど、台湾情勢回復させた。さらに戦後台湾における再建整理加速させ、戦争破壊され台南孔子廟改修や、台湾中国大陸との結びつき強化図った戦後台湾地位主権問題に関しては、当時台湾独立運動アメリカ一部の者と意見異なっていた。外交的なバックグラウンドを持つ魏道明1947年12月28日記者会見行い厳し言葉で「台湾古来から中国固有の領土で、既に中国回帰している。しかし、一部陰謀企む者たちが、台湾中国から再分裂させようとしている。中国政府中国人民決してこれを認めない。もし少数の者たちがあえて天下大悪事を行おうとするのならば、600万人台湾人民と4億の中国大陸人民は、中国領土無傷維持するために血を流す犠牲厭わないだろう」と、台湾独立でたらめな主張であると強く非難した1947年11月台湾省中華民国第1回立法委員選挙国民大会代表選挙行った。翌1948年には、台湾のスポーツ選手たちから台湾省代表チーム編成し上海行われた中華民国第6回全国運動会参加させた。台湾人々選挙通じて中国の政治参加させたりするなどして、中国人民主権行使させた。 魏道明台湾省政府1年7ヶ月の間任務に就き1948年末に職を辞してアメリカ渡った。これは、この頃中国大陸での情勢関係している。蔣介石腹心である陳誠後任台湾省主席となり、1949年1月5日交代した

※この「初代台湾省主席」の解説は、「魏道明」の解説の一部です。
「初代台湾省主席」を含む「魏道明」の記事については、「魏道明」の概要を参照ください。

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