初代勧銀本店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 00:49 UTC 版)
「みずほ銀行内幸町本部ビル」の記事における「初代勧銀本店」の解説
初代の日本勧業銀行(勧銀)本店は木構造2階、瓦葺で、1899年に建設された。当時の住所表記は「東京府東京市麹町区内幸町」。日本橋の設計で知られる妻木頼黄が設計を担当し、東京帝国大学大学院生で後に関西建築界の父と呼ばれる武田五一が監督にあたった。施工は大倉土木(現大成建設)。 日清戦争後間もなく国家意識が高揚する中で、日本古来の建築手法である金属板の平葺きを採用しており、外見には和風の建造物となった。業容の拡大に伴って1926年に立て替えを行い、旧本店は京成電気軌道(現京成電鉄)に売却され、「谷津遊園楽天府」として阪東妻三郎プロダクションが使用した。その後千葉市に移管、千葉市役所庁舎を経て、現在は千葉トヨペット本社となっている。登録有形文化財である。
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