初代劇場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:52 UTC 版)
クリスティ夫妻はオルガン部屋への増築として300の観客席がある劇場を建てた。オーケストラピットは交響楽団が収容可能で、当時としては最新の設備だった。大規模なリハーサルの後、6週間にわたる第1シーズンが1934年5月28日から始まったが、この時の演目は『フィガロの結婚』で、その次は『コジ・ファン・トゥッテ』が続いた。1934年、ジョン・クリスティの招待によりボイド・ニールは、改築されたグラインドボーンオペラハウスで初演奏の指揮をとった。 その後も劇場は拡張、改良されていった。早くも1936年には劇場の収容人数は433人にまで増えていた。 1962年のクリスティの死後、劇場は息子ジョージ(後のサー・ジョージ)に引き継がれ、さらなる変化や改良が続いた。 On Such a Nightという短いセミドキュメンタリー映画が作られた。この映画は、1955年に公演された『フィガロの結婚』の抜粋や、ジョン・クリスティ、ヴィットリオ・グイ、カール・エバートの3人が登場して仕事をする様子に、アメリカ人が初めてこの劇場に行く架空の物語を織り混ぜたものであった。
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