初代博多電気軌道の設立とは? わかりやすく解説

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初代博多電気軌道の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 00:38 UTC 版)

博多電気軌道」の記事における「初代博多電気軌道の設立」の解説

1900年明治33年)、大分県にて豊州電気鉄道開業し九州地方にも電気鉄道出現したその後福岡市でも電気鉄道建設目指す動きが始まる。中でも早いものは当時博多電灯という福岡市電灯会社取締役務めていた太田清蔵らが立案した計画で、会社設立認可を得るところまで具体化したものの、会社設立には至らず立ち消えとなってしまった。日露戦争後になると企業ブーム背景福岡市内での馬車鉄道電気鉄道計画相次いで立てられ、その中から東京福澤桃介中心とするグループが市の後援得て会社設立漕ぎつけた。これが1909年明治42年)に設立され福博電気軌道であり、翌1910年明治43年3月福岡市街を縦貫する電気鉄道開業させた。同社社長福澤桃介専務松永安左エ門で、取締役には地元福岡実業家太田清蔵渡辺綱三郎渡辺与八郎の弟)らが名を連ねたこうした福博電気軌道動きとは別個に、「博多馬車軌道」の起業計画する嘉穂郡坂口栄らに対し1909年7月30日付で筑紫郡堅粕村吉塚駅前)から福岡市橋口町天神付近)に至る3.9キロメートル軌道敷特許下りた。この計画許可電気鉄道改められ、翌1910年3月31日資本金150万円博多電気軌道株式会社として会社設立至った発起人には太田清蔵渡辺与八郎渡邉八郎)・麻生太吉地元実業家や、北九州九州電気軌道設立関与した神戸財界川崎芳太郎小曽根喜一郎らも参加しており、社長に平岡良助(平岡浩太郎長男鉱業を営む)が就き取締役には渡辺与八郎富安保太郎らが名を連ねた路線の開業先立つ1910年7月博多電気軌道電源確保のため未開業の電力会社筑紫水力電気1910年1月設立資本金50万円)から事業買収し電気供給事業兼営とした。次いで同年10月6日には福岡市西方糸島郡非電化軌道線運営していた北筑軌道合併した

※この「初代博多電気軌道の設立」の解説は、「博多電気軌道」の解説の一部です。
「初代博多電気軌道の設立」を含む「博多電気軌道」の記事については、「博多電気軌道」の概要を参照ください。

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