民主主義批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 12:23 UTC 版)
反民主主義者の教説によれば、民主主義の基礎は国民と政府の同一性であるから、結局最後には国民の意志の内容とその方向が問題となる。フリードリッヒ・ゲオルク・ユンガーは、ある政治論文の中で具体的にこの問題を次のように提起している。 民主主義とはそもそも何なのか。それは国民が欲するところのものである。だとすれば、民主主義とは国民の特定の意志によって具体的内容を与えられる白地概念だということになる。国民の意志こそがそこでは決定的である。如何なる憲法も国民の意志に抵抗してはならず、如何なる議会もそれを妨害してはならず、如何なる政党や政党連合もそれに鎖をつけてはならない。 このように反自由主義的な民主主義概念は、実際上、特定の内容をもたず、その時々の国民意志によってその内容が決定された。 シュペングラーは、民主主義と独裁の一致という意味で「民衆皇帝制」なるものを提示した。彼は、民衆皇帝制が民主主義の土壌に成長すること、やがて民主主義と民衆皇帝制の決戦が行われることを強調したが、彼は元々、民主主義を金力の支配と考えていたから、民主主義概念はただ、民衆皇帝制の反対概念としてのみ役立つだけで、他の反民主主義者たちの書物における自由主義ないし議会主義的民主主義の概念と同様、否定的機能をもつにすぎなかった。しかし、そのシュペングラーも彼の政治評論においては、我々ドイツ人には独自の民主主義があると主張し、この事実を証明する歴史的根拠としてゲルマンの従士制と古プロイセンの官僚制をあげている。シュペングラーにとって国民の政治的成熟など凡そ問題外であったから、この真の政治家、偉大な政治家が国民の統治者として支配するものとされた 20世紀に相応しい民主主義を描くために遠い昔のゲルマン人の歴史を引き合いに出したのは、シュペングラー1人ではなかった。青年ドイツ騎士団のある書物では、当時盛んに行われたゲルマン的国家観の研究を大いにとり入れている。そこで語られるゲルマン的民主主義とは、王の支配と人民の自由との結合を意味し、王は民族共同体の受託者として行動し、人民に対して責任を負い、人民によって罷免される。指導者と従者というゲルマン的原理によって特徴付けられる生ける共同体の中に真の民主主義を見いだす。著者によれば、市民的法治国家思想と古代ゲルマンを模範とした民主主義原理との対立以上に大きな対立は存在しないとされた。 これに対して、ヴァイマル期の国粋派集団は、一般的に民主主義をその本来の姿で、即ち自由主義思想や自由権との関連で捉えていた。ナチズムもまた民主主義的民族運動とか民主主義の再建などのスローガンは殆ど採用しようとしなかった。彼等は、敵である共和派が民主主義のスローガンを採用し、その結果、民主主義が信用を失ったことをよく認識していたため、この概念を殊更に評価したり見直したりせず、彼等自身の国粋主義国家やナチス国家を真正面から主張したのである。 議会制民主主義とその政府は、あらゆる点で国家の最も危険な敵である。それを通じて1つには虚栄心と自己満足、駄弁と寄生根性、2つには実情取引、そして最後には贈収賄に最大限の門戸が開かれる。我々の目の前で息絶えようとしているこの民主主義は、大きな虚栄の固まり以外の何物でもない。
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