党組織論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 08:38 UTC 版)
以下のような、スターリンおよびソ連邦共産党、コミンテルン系譜の各国共産党の実践形態・実践結果を総称して、非スターリニズム左翼は「スターリニズム」と定義している。 ボルシェビキは暴力革命を是認するものの、党内活動に対しては元々野次すらも議事録に残し、政策・方針によっては分派活動の形成を容認するなど党内民主主義の度合いの強い組織だった。ロシア内戦期に、指導部の強化を目的にして分派形成は禁止されたが、少なくともレーニン、トロツキーらにとっては、「内戦期という非常事態における一時的措置」として位置づけられていた。これをスターリンは、レーニン死後、「党は実践集団であって、討論クラブではない」という命題によって、「一枚岩の民主集中制の絶対原則」として分派形成を禁止する。この「原則」が、「指導部批判=敵対者」と規定される土壌を作り出すことになる。各国の共産党も、例外なくこの「原則」を倣っていくことになるが、この「絶対原則」によって、党内討議・党内民主主義(批判の自由)よりも指導部の「指令」「指導」が絶対化される官僚主義が各国の共産党を共通して蝕んだ大きな根拠となっていく。 「真理は一つであり、その真理に立つ労働者階級の前衛党は各国に一つでしかあり得ない」または「統一した党は労働者階級と革命の司令部であり、司令部がいくつもあったら命令指揮系統が混乱する」とする一国一前衛党論は、自派以外の共産主義党派および共産主義者を排撃し、民衆の運動は自派によって指導されなければならない、とする独善主義の論理として作用する。それは「共産党主導でなければ革命は起きない」あるいは「大衆運動や労働組合などの大衆組織は共産党を拡大するために存在する」「共産党の指導外の運動は破壊してもよい」というような思考をもたらし、「大衆運動の利益」よりも「共産党の利益」を優先する体質を形成してきたと言える。 スターリンの指導下のコミンテルンの系譜に属する共産党は、スターリニズム政党であるか、すべてがそうであった時期を経験している。特にフランス共産党は、スターリニズムの影響を最も強く受けており、「モスクワの寵児」「モスクワの長女」(モスクワからの意向にはほぼ従う、という意味)と呼ばれていた。第二次世界大戦後、世界の3分の1の領域を支配した社会主義国家群の大多数は、スターリンと対立したチトー主義のユーゴスラビアを除いてソ連型社会主義国家であり、「スターリニズム」に支配された国家だったといえる(ソ連と距離を置いた中華人民共和国の毛沢東思想やアルバニア社会主義人民共和国のホッジャ主義などは何れもスターリン死後のスターリン批判に否定的なのであって、スターリニズムからの派生であり、フルシチョフら非スターリン化を進めるソ連指導部を修正主義と批判した)。
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