ロシア内戦期(1917年-1921年)
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「クリミアの歴史」の記事における「ロシア内戦期(1917年-1921年)」の解説
「ロシア内戦」および「クリミア半島におけるテロ事件 (1917-1918)(ロシア語版)」も参照 第一次世界大戦の1917年に起きたロシア革命の後、ほかの旧ロシア帝国領と同様に、クリミアの軍事・政治は極めて混沌とした状況に陥った。ロシア内戦の間、クリミアでは何度も統治者が交代し、一時期は白軍(反革命側)の最後の牙城であった。この時期にクリミアを統治した諸政権は以下のように推移した。 クリミア人民共和国 — 1917年12月-1918年1月 :クリミア・タタール人が主導した政権 タヴリダ・ソビエト社会主義共和国 — 1918年3月19日-4月30日 :ソビエト政権 ウクライナ人民共和国による占領 — 1918年5月-6月 :ドイツ帝国の支援を受けて統治した クリミア地方政府(第一次) — 1918年6月25日-11月25日 :ドイツに擁立されたリプカ・タタール人の将軍マツェイ・スリケヴィチ(英語版)による政権 クリミア地方政府(第二次) — 1918年11月–1919年4月 :ドイツ撤退後にカライム人の元立憲民主党員ソロモン・クリム(英語版)が首班となった反ボリシェビキ政府 クリミア・ソビエト社会主義共和国 — 1919年4月–1919年6月 :ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の一部を構成するソビエト政権 南ロシア政府(英語版) — 1920年2月–4月 :白軍のデニーキン将軍の政府 南部ロシア政府 — 1920年4月(正式には1920年8月16日)–11月16日 :白軍のヴラーンゲリ将軍の政府 ヴラーンゲリ将軍が率いる白軍にとって、ネストル・マフノのパルチザンとミハイル・フルンゼが率いる赤軍に対する最終防衛地となったのがクリミアであった。白軍の抵抗は1920年のペレコープ=チョーンガル作戦により撃滅され、多くの反革命派兵士が船でイスタンブールへと脱出した。 「クリミア半島の赤い恐怖(ロシア語版)」も参照
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