党結成まで
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東郷健はみずからが同性愛者であることを公表し、1971年の第9回参院選に立候補。最初となった選挙戦の様子を週刊ポスト(1971年7月9日号)のインタビューで、運動員は3人、資金は借金であったと語っている。選挙戦では一貫して佐藤栄作首相の批判を続けた。以来、各種選挙に立候補を繰り返した。そして庶民の代表者だと訴え続けた。 彼は自らをデラシネ(déraciné、フランス語で根無し草の意味)と位置づけ、この言葉を雑民と訳したうえで、選挙では常に底辺から政治家・資本家の残酷さを暴こうとした。 1979年8月24日、「雑民の会」を設立。お金のない弱い人は雑民であり、これはセックスでも言える。レズビアン、ゲイ、SMなどもまた差別されている。この雑民が互いに助け合って行くのが目的であるとした。 比例代表制の影響 1982年(昭和57年)8月18日、参議院選挙の全国区が比例代表区に変わることが決まり、無所属での立候補ができなくなった。そこで立候補するため便宜上の政党(制度上は確認団体)が多く結成されたが、雑民党もその一つであった。
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